精神的ヤリチン

最近、多くない?こういう奴。

そう言って、彼女は弄っていたスマホの画面をこちらに向けた。それはTwitterのタイムラインだった。私はスマホを受け取り、スルスルとスライドして眺める。そこには、30%程は彼の趣味の話、70%程は彼女が欲しいや、女の子に癒やされたい、守って欲しい、救って欲しい、または冗談のようにカップルにむき出された憎悪など。

確かに、多い気がしますね。僕のタイムラインにもいますね。空から女の子を夢見ている感じの人。

私、こういう奴むかつくんだよね。そう言って、僕から返されたスマホの画面に指をつきたてグリグリと押し付ける。

見てて愉快なもんだとは思わないけど、こういうツイートをしちゃう気持ちは理解できるので強い批判はしにくいな、と思いますね。あんまり強く表明はしないけど、自分にはそういう片鱗はありますしね。

まぁ、君も割とメルヘンなところあるしね、と笑った。まぁ思うのは仕方ないよ、それなりに一人で生きていくって寂しいしね。私には今んとこ犬がいるから大丈夫だけど。

だけどさ、私がむかつくのはこいつらがあまりにも無自覚なことなんだよね。

こういう奴って、女の子に救って欲しい、助けて欲しいと主張する。だけど、自分からは逆に何も提供しようとしない。自分はこんなに日々傷ついているんだから、守られ支えられることを当然だと思っている。じゃあ、仮にあんたを支えてくれる女の子がいたとして、その子に対してあんたは何ができるの?あんたたちは自分が優しいことを長所と勝手に思っているかもしれないけど、優しいって何?何もしないことを優しさだと思ってんの?そんなの、ただ彼女たちから感情を搾取したいと言ってるのと変わらないじゃない。そんなのただのヤリチンと一緒だからね、あんたらが大嫌いなヤリチンと一緒。そういうことにあまりにも無自覚なことが見ていて本当にムカつく。

こいつらは精神的ヤリチン、と言って彼女は〆た。

 

なんで、精神的ヤリチンになっちゃうんですかね、私は聞いた。

それは弱さって、使い勝手が良いからじゃない。彼らは満たされないという弱さを武器にしているから。今強さって使いにくいんだよ、それは威力が高いから結果も派手だし、使おうとするだけで非難されるからね。でも、弱さを武器にしても周りは止めにくいし、仮にそれで他人を傷つけても、誰も。切った本人は気づかないし、切られた方はちょっとモヤッとする程度。でもそれは間違いなく傷つけてるからね。

だから、少しは自覚的になりなさい、あんたの中の刃物にさ。

 

黒くなっていく

携帯を見ると、LINE通知が溜まっていた。緑色のアイコンはすべて同じ差出人であることを示していた。彼は時折大量のLINEを送ってくる、そして僕の反応を期待しているわけじゃない。

LINEとはコミュニケーションのためのツールじゃないの?、と聞いたところ、君のLINEは僕のTwitterだからねと笑って返された。Twitterなら仕方がない。彼のタイムラインを唯一のフォロワーたる僕は眺める。

 

おすすめされていた漫画、読んだよ、フラジャイル。とても面白かった、そして絶妙に凹む。有能な頭脳と旺盛なモチベーションが欲しいと思ったな。

仕事って、とても難しい。仕事には決められた手順というのがある、そして往々にして決められた経緯は不明瞭だ。
だから本来正しい手順でやるべきだけど、手順を前後することのメリットは分からない。かといって、正しい手順でやるデメリットも存在しない、強いて言えばただただ面倒くさい、それだけの理由。だから、つい手抜いてしまう。

そういう風に仕事をしていたら、半年後に想定外の事態から、手順を前後したデメリットが発露する。

恐ろしいのは、周囲はこのトラブルの原因が、僕が手抜いたことにあるということが分からない。何故なら誰も正しい手順で行っていないし、正しい手順自体を知らないから。

でも、自分だけは分かる、これが発生したのは自分がやるべきことをやらなかったから、でも声をあげなくても誰も気づかない、言葉を飲み込み、自分だけが凹む。

分厚いガイド的なものを何冊も読んだり、休日をある程度返上して現場を廻ったりすれば潰せるミスだな、と自分は理解している。でも、やらない、有能な頭脳も旺盛なモチベーションが無いから。分かってて時間外の仕事をしていないから、そして、これは俺のせいだというミスを見つける。凹む。

僕の仕事は命はそんなにかかわらないけど、多かれ少なかれ仕事をしている人は感じそうなところを抉ってくる、良い漫画だなと思った。

 


彼のTwitterはいつもとても面白い。不真面目な体に、理想の心が住んでいて、そのギャップに苦しんでいる。彼は大学に通わずに3年間留年をした、その間何をしていたの?と聞いたら「大学に行かないことで感じるストレスと日々戦っていたんだ」と言った。私は彼には真面目に行動を起こせる体か、理想を直視しない不真面目な心のどちらかを与えてやるべきだったな、と思った。
私は彼に返答を打つ、”感性の幅が広がった、という意味で労働も悪くないね”。すぐに既読マークが付き、私は反応を待つ。


広がるのではなく失っているのだと言った作家がいたよ。色を加えすぎて、どんな人も最後には人生を真っ黒にしてしまうから、その色が万人共通の真実に見えてしまう。

様々な体験によって人が賢くなり心理に近づけるなんて錯覚だ。それはただの黒い色に過ぎない。


私たちは労働で消耗し、少しずつ自分の色を失い、ただただ黒に近づいているのだろうか。そうかもしれない。
私は彼に返答を打つ、”それでも”、と。

”それでも、その更に黒に近づいた色は僕たちには未達の領域なんだから、それはそれで、新しい世界だよ”

既読が付く。返答が来る。

 

まぁそうだね、僕もどちらかと言うと、そう思う。昔より人生は、楽しい。

 

私の範囲

ドンドンドンとドアの向こうを人が通過する音がする、私はそれで彼が帰ってきたことを知る。彼の部屋は一番奥の角部屋なので、階段のすぐ近くにある私の部屋の前を通過することになる。穏やかで、理知的な言動を取るにも関わらず、足音だけとても大きいのは何だかアンバランスで面白いと思う。

月曜日は週間少年ジャンプの発売日だ。彼は毎週それを買って帰る。しかし、読まずに部屋の隅に重ねている。いつ読むの?と聞くと、いつか読むよと返ってきたことがある。そして実際に先月一ヶ月ほどかけて、一年分のジャンプを読み通していた。私は漫画を熟成させる趣味がないので、月曜日の夜は彼の部屋に読みに行くことに決めていた。

彼の部屋のドアをノックし、そのままガチャリと開ける。寮にはプライバシーの概念は希薄だ。必要ならば鍵をかけることが暗黙のルールとなっている。 彼は私が部屋に行くと、いつもPCに向かっている。おかえり、ただいま。一応の挨拶をして、私はその辺に置かれたコンビニ袋からジャンプを取り出し、座椅子に腰掛けジャンプを読み始める。

「最近、どう付き合っていけば良いのかよく分からないんだよね」と彼は言った。私はゆらぎ荘を読んでいたところから顔を上げる。

彼には同期入社の彼女がいる。その子のことは私も知っており、友人である。だからたまに話を聞くことがある。

そして、その子は数少ない私が泣かせたことのある女の子でもある。 それは、会社の同期飲みだった。たまたま隣の席になった彼女と話していた。その中で、少し見解のズレが発生するような話になった、そうなんだ、それは僕の考えとは違うね、僕はこう思うけど、それは君とは違うと思う、でも君がどう思うかは君の自由だよ。そして、泣かれた。

未だに何故泣いたのかは分かっていない、あれから先一緒に遊ぶ機会があってもあのことには触れていない。 ただ、自分と他人の境界が曖昧な子なのかなと思った。だから、僕に赤の他人である、としっかり線を引かれることにショックを受けたのかなと思っている。

「なんかあったの」

彼は言う。仕事の依頼のメールが来た「今週中にこれをやってくれませんか」、今は仕事が立て込んでいる、その作業はこのくらい時間がかかる、私は今このくらいしか作業時間を確保することができない、だからどう早くても来週半ばまでかかる、そう返信した。その返答を見た相手は「じゃあ無理ということですね」と話はそこで終わった。このやり取りは部署内のメーリングリストで行われたため、彼女は見ていた。

「あの断り方はありえない」後日そう言われたと言う。あなたはいつもそうだ、効率だけを意識して相手のことを考えていない、正しいならそれでいいと思っているのか。

「僕は、逆に彼女は仕事を引き受けすぎていると思っている。一日にできる仕事の量に限りはある、何でもかんでも受けて無限に仕事を増やしても辛いだけだ。だけど彼女は断れない。断ることを悪だと思っている。そしてその引き受けた疲労を夜な夜な僕にぶつけてくる。毎晩3時まで電話に付き合うのは、正直、しんどい。」

彼は天井を見上げ、勿論その考えは良いことだとは思うんだけどさ、と言った。 彼は優しいな、と思った、疲れ切っていても彼女の立場に理解を示そうとしている。

私は彼女が泣いたときのことを思い出していた。意見の対立を面前に突きつけたら泣いてしまったときのことを。彼女は他者を理解し、同時に自分を他者に理解して欲しいと思っているのだろう。だから、他人が苦労していれば仕事を引き受け、自分が苦労していると他人に引き取って欲しいと思う。彼女の自我は、どこまでも広がっており、世界を飲み込んでしまっているのだろう。

私は自分は自分であり、他人は全く別の生き物だと思う。お互いに理解している振りをしているに過ぎない。お互いに解釈不能な内在ロジックで動いており、一部を言語というプロトコルを通して通信している。私たちができるのはプロトコルに基づいた解釈だけだ。だから、言葉はできるだけ丁寧に使い、伝わってほしいことははっきりさせるべきで、察して欲しいという感覚は傲慢だとすら思っている。

同時に、だからこそ自分は誰も助けられないな、と思った。

「どうしたら良いんだろうね」 彼は言った。

私は答える。 「どうしようもないね」 無力な私は、「まぁ愚痴なら聞くよ」と私の境界に線を引いた。

生きるためのメモリ領域

仕事で少し行き詰まった。設計書を眺め、ソースコードを眺め、デバッグコードを走らせてみる。「プログラムは書いた通りにしか動かない」偉い人が言っていた。確かにその通りだと思うが、その言葉は何の慰めにもならない。一通り現在のレイヤーで調べられることは調べ終え、このままだとフレームワークなどもう少し低次のレイヤーまで調べに行かないとならないか、と嘆息をついたところで、歌が流れ出した。昔一斉を風靡した歌手の名曲らしい、生憎私は知らない。この曲は今業務時間の終了を告げる音楽となっている。私はカバンを持ち、周囲にお疲れ様ですと声をかけ職場を後にした。

頭には煙が詰まっているようで、行き詰まった箇所をあーでもないこうでもないと燻し続けている。電車に乗っても本を開くことができない。頭は文字を理解せず、目は単語を追うことができない。私はこの感覚はとてもまずいものだと知っていた。 乗り換え駅に付き、電車を降りた。別の路線に向かう人の流れをはずれ、宝くじ売り場の隣に立つ。宝くじ売り場の近くでは店員が買えば3億円当たるかもしれないよ、と流れに向かって呼びかけている。 私はポケットから緑色の耳栓を取り出す。シリコンでできたそれは力をかけると形が変わり、じわじわと元の形状へと戻る。私は細長く潰し、耳に突っ込んだ。一瞬鼓膜の付近の気圧が代わり、耳がツーンとなる。そして、じわじわと少しずつ私と世界を繋ぐチャネルが塞がっていくのを感じる。そして私は目を閉じて深く息を吸う。

頭の中はまだザワザワと音を立てている。私はただ自分の息を吸う音と鼓動の数だけに注目する。聞こえない耳で静かな世界を聞き取ろうとする。

ときどき、私はこうしている。考え事が膨らみ制御できなくなると、頭の中の生きるために利用しているメモリ領域を侵食されていく。だから私はただ生きるために必要な作業以外のすべてを忘れることにした。耳をふさぎ、目を塞ぎ、すべての情報を遮断し、ただ生きるための作業だけに集中する。段々と私は生きる方法を取り戻していく。息を吸って、息を吐く。そして、少しずつ、その作業を脳内のバックグラウンドに移動させていく。不調なく活動していることを確認し、目を開き、耳栓を外す。宝くじ売り場の店員は3億円が当たるかもしれないと言っている。

その場を離れ、駅のホームへと歩きだす。駅のホームでは電車を待っている人たちが並んでいる。その後ろに並び、本を開く。今度はちゃんと読むことができた。

自分のもの

大学時代、研究室でお世話になった先輩と久々に会った。 場所は、新宿駅からそう遠くない居酒屋。食べログのお店一覧を適当なジャンルで絞込をかけ、上から5番目のお店。食事にあまり興味のない僕たちのいつもの決め方だった。 「思ったよりいい店だね」 そのお店は部屋は明かりが絞られており少し薄暗く、カウンターの内側に囲炉裏があるという風変わりなお店だった。雰囲気通りにとても静かで、人混みが苦手な先輩の評価は上場だ。もちろん僕も嫌いではない。 僕たちは魚の塩焼き(魚の名前は忘れた)、何かの肉(これも忘れた)、そしてきゅうりのぬか漬け、そして日本酒の出羽桜を注文した。

「最近、以前に増して悪化してきたことがあってね。メールが開けないんだよ」先輩が言った。 メールですか、開けないってどういうことです? 「文字通りだけど、これは機械的な故障とかアプリケーション上の問題を言いたいんじゃなくて、俺の心理的な問題としてメールを開くことに対して物凄い抵抗がある。だから俺の最近の一日のうち3時間はこのメールを開くべきかどうかについて考えることに当てられているんだ。」 ははぁ、それは結構重大な問題ですね。そんなに怒られるようなことをしたんですか? 「いや、怒られるようなことなんて何も無い。出したメールは例えば『これこれの作業をお願いします』とか『この権限の申請をお願いします』とかだからさ。こんなものの返答なんて8割が『了解しました』とか、『ここの内容が不足しています』みたいなもんだろう?そしてその予想は大体当たっているんだよ。3週間くらい寝かせて意を決して開いたら、『了解しました』とだけ書かれていてると俺はなんて馬鹿なんだろうと思うよ」 そりゃそうでしょうね。分からないのは、じゃあ何で開くことをためらってしまうのかってことですけどね。そう、例えば、昔メールで大きなダメージを受けてトラウマになっているとか、わかりやすい。 「勿論そんなこともない。メールでダメージを受けたこともないし、今後もメールでダメージを受けることなんてほとんど無いと理解している。なのに、俺はメールを開くことができない。そして原因が分からないから対処法も分からない、結構難しいだろう?」

この話を聞いて思ったのは、僕も含めて人間って思ったより頭で思っている正しい行動を実際に取れているわけじゃないのかなということです。行動は頭で考えて生み出されるのではなく、理解不能なブラックボックスから生み出されるんじゃないかと思います。そして頭はその行動にただ理由を付けているだけに過ぎない。だから私たちは勉強しなきゃいけないときも掃除をし、寝なきゃいけないのに本を読み、そして色々な言葉で理由をつけているんじゃないかなと。 だから、理解不能なブラックボックスを解体することは一旦諦めましょう。そう、見なきゃいけないメールがあるんだから勝手に見ざるをいけない状態にしてしまいましょう。先輩はSlackを常用していましたよね、Gmailと連携して自動でメール本文がSlack上で表示されるようにしちゃえば良いんじゃないですか。いつも見るものに勝手に流れてしまうようにすれば、開くべきか悩んだりしないで済みますよ。

「なるほどね、確かにそれは有効かもしれない。メールを見られない自分は諦めちゃうわけだね。普通の人がクリックするだけの作業をいちいち仕組みするんだね。なんだか、とても愚かだけどアイデンティファイされている作業で、面白いね。」 そうですね、馬鹿な自分を甘やかすために頑張るってなんだかとても素敵ですよね。自分が自分のものである感覚が心地よいのかなと思ってます。

背中で語る

 友人へのアドバイスってどうやったら良いと思う。尋ねると彼は一瞬考えるような顔をしたあと、難しいことを聞くねと言った。そう、難しいから聞いてるんだよ。何かあったのと逆に彼が聞いた、突然出てきた話題にしては背景がありそうな話だったよ。本当は初めからその話をしたかったのだ、最初の質問など導入に過ぎない、面倒なワンステップを一々踏んでいるな、と思った。そうそう、ちょっと聞いてくれよ。  話はそんなに複雑ではない。もうすぐ結婚をする友人がいる、来年頭から同居と共に籍を入れる。結婚式はその半年後くらいを予定している。結婚には、引っ越し・結婚式とお金がかかるイベントがある。そのために貯金がしたい。でも、本当にお金が貯められるか少し不安だ。じゃあ悩むならちょっと考えてみようかと、私は話を聞きながら彼の状況を整理していった。いつまでにいくら必要なのかを整理し、そのためには貯金がいくら必要なのか、今の月々の収入と予想される支出も話しながら計算した。その中で揉めたのは予想される月の支出の内訳だ。彼は月の食費は二人で4万円くらいと見積もっていた。私はとても甘い見積もりだと思った。今毎日いくらくらい使っているの?と聞くと、昼も夜も600円くらいだと言う。一日1200円、一ヶ月で3万6千円、しかもこれは一人分だ。二人なら倍は見たほうが良い、たまに良いものを食べてしまうことも考えると月8万円くらいいくのではないか。うーん、でも食費に月8万は使いすぎじゃないかな、そうこれからは自炊もするしもっと抑えられるはずだ、と友人は主張した。今まで自炊をしたことが無いものが突然自炊を始めても続かない、人間はいきなり環境を変えられる程柔軟な人間ではない。一旦食費は8万ほどにしておいて、他の出費を少しずつ抑えた方が良いと念を押した。いや、でも…。では、納得行かないなら、もっと具体的に説明しようか……。  そして、ついに友達は怒っちゃったんだね、あんまりムリムリ言われるとムカつくんだよ、って。彼はくすくすと笑った。笑いごとじゃないんだけどなぁ。そう、怒られた、しかも結構激昂して。私は何故怒ったのか分からず、びっくりした。いや分からずというのは正確ではない、ちょっと痛いところをついているという自覚はあって、不快な話題だったことは分かる。しかし、怒ることでは無いだろう、その不快さを飲み込んで建設的に話を勧めていく場だったのではないだろうか。  ここまで話すと。まぁ君の言うことは筋が通っていると思うよ、と彼は言った。彼は続ける、でも正しくはないよ。君は筋が通っていることが正しいと思っているみたいだけど、筋が通っていることは行儀が悪いんだよ。君は友人の生活に対して、あまりにも踏み込みすぎているだって君がいくら計算をして、月々いくらかかるって計算したところでその生活をするのは君じゃなくて友人なんだぜ。確かに今後も自炊なんかきっとできないだろう、でもあの瞬間友人はきっとそういう生活をする自分を夢見ていたんだ。その夢を壊す権利は君には無いよ。  因みに、こう言われて君はどう思った。うん、まぁ確かに、とは思ったよ。君は結構理性が強いからそうやって受け止めているけど、本当はもっと不快感を露わにして良いんだぜ、何故ならこれはとても行儀の悪いアドバイスなんだから。そう言って彼はまた笑った。  アドバイスってのはどうしても行儀悪くなっちゃうんだね。まぁそうだね、だからアドバイスなんて本来必要ないんだよ、人間皆自分が正しいと思っていて、アドバイスなんて自分の正しさを保証してほしいんだから。だからアドバイスなんて、相手の話を聞いて、それでイイんじゃないと適当に相槌を打っていれば良いんだよ。そして、自分は自分で正しいと思うやり方をするのが良い、背中で語れってやつだね。

プリンの作り方

「あの店員、どう思う?」  私はメニューから目を上げて、右に座る片岡の顔を見て、次にその目線の先に目を向けた。2つ先のテーブルでは店員が前の客の皿を、自身の手に持つお盆の上に重ねているところだった。私は片岡の質問の意図を考える。特段何の印象も持たなかった、所作に不審な点があるわけでもない。強いて言えば、仕事が楽しくて仕方がないという顔はしていないな、と思った。  特に何も、と返そうとしたところで「可愛いと思わない?」と聞かれた。私は先程のまじまじとした見方から、もう少し恥じらうようにー―それは相手に対して自分の審美感を照らし合わせるというとても下衆な行為であることを自覚的に、チラチラと眺めた。確かに、整っていると思ったが、それ以上に、眼が何だか怖いな、と思った。それは仕事が楽しくて仕方がない顔とは遠い眼である。  うん、まぁそうかもね、といつものように歯切れの悪い答えを返す。他人を自分の物差しではかるのはいつも気が引ける。

 ここはパスタを主体としたレストランだ。私は昔からここのデザートのプリンがとても好きだった。クリームを感じさせる甘さと舌触りであり、普段のコンビニのプリンとは大きな断絶があり、時折食べに来る。パスタ自体は特筆するものはないが、無難な味だ。私はよくペペロンチーノを頼む。  先ほどの店員を呼び、注文を済ませる。私はいつもどおりペペロンチーノを頼んだ。二人は、クリームパスタとナポリタンだった。

「そういう感覚ってあんまり無いんだよね。」  そう言ったのは、私の前に座る江口だった。一瞬何の話かと思ったが、先ほどの店員の話をしているらしい。 「こういう外で、他人の顔を見たり判断したりすると疲れないかな。外の世界ってただでさえ情報量が多いのに、そこまで解像度高く見ようとすると処理しきれないよ」  江口の表現はしばしば面白い。そして私にとても近いものだった、私も学生時代知人とすれ違っても全く気づかないことが多かった。私もまた周囲をただの風景としてしか捉えず、解像度が低いのだろう。ドット絵の世界と、PSVRの世界(私は予約に失敗した)。 「むしろそういうことを見るために外を歩いていると思うんだけどな。相変わらずよく分からん表現をするな」  世界を私とは違うように捉える片岡はそう言って、スマホに目を落とした。

 パスタはいつも通り、無難な味だった。食べ終わった辺りでドット絵の店員がプリンを持ってくる。  店員が去った後、やっぱり可愛いと思うんだよな、凄くパスタ屋の店員という感じがすると片岡は言った。  一方、私はプリンに目を落とす。プリンはプラスチックのカップに蓋付きで入っている。私は蓋を外して、スプーンでひとすくいする。一部が削り取られたプリンの断面はなめらかで、コンビニに置いてある100円のプリンとは最早違う食べ物であることを視覚的に表現していた。一体どうやって作っているのだろうか、私はここのプリンの製法はもとより、普通のプリンの一般的製法すら知らなかった。茶碗蒸しのように蒸しているのだろうか?それとも、何か凝固剤のようなもので型に入れて固めているのだろうか。よくよく眺めて、何も知らない中で考えても何も分からないが、私は考えてしまう。

「やっぱりここのプリンは美味いな。一体どうやって作ってるんだろうな」  いつの間にか半分以上食べていた片岡が言った。 「そうだね」  江口も言った。  ほんとそうだね。考えちゃうよね。