怒りの取り扱い方

怒りの取り扱い方の話をしようと思う。

「年末、ボードゲームで遊びましょう」と誘われた。平均月に1回くらいの頻度で私たちは集まってボードゲームをしている。 ボードゲームは元々私の趣味で、最初は私から友人数人に声をかけていた。ただ、私は寮住まいの関係上、遊ぶ場所を提供できない。だから、一人暮らしの奴の家に私がボードゲームを持っていき、その場で遊ぶというのが恒例となった。今回もその一環だった。

「何を持っていけばいい?」と私は聞いた。 ボードゲームには様々な種類があるが、大きく分けると2つある。運要素が強くパーティゲームとして楽しめるものと、高い戦略性を必要とするゲーム性が高いもの。私たちはどちらかと言うと戦略性が高いゲームを好むので、聞いた段階で頭のなかでいくつか候補があった。

「そうですね、宝石の煌めきとアグリコラと、あとミステリアムを持ってきて欲しいです」彼は言った。

これを聞いて、私は軽い怒りを覚えた。何故だろうか。

そこからの会話はこう続く。

「ミステリアムって、もしかしてそのまま借りたい?」私は聞いた。

「あぁそうですね、できたらお願いしたいです」

「あぁ、まぁいいよ」

後半の会話は私が自分の怒りを適切に取り扱うために必要なものだった。

この流れを元に、自分の怒りと、その扱い方について話をしたい。

まず、怒りの原因を話そう。(ここで言う怒りとは内心のイライラ程度で、声を荒げたり、不快感を表明することとは別に扱う。)

結論を言うと、彼の挙げたボードゲームから、別の目的が分かってしまった。そして、それを達成するために払われるコストを無視しようとする態度に対して腹が立ったのだ。

宝石の煌めきとアグリコラはかなりゲーム要素が強く、今まで何度も遊んだ。今回持ってきて欲しいと言われたことも分かる。

問題はミステリアムの方だ。これはパーティ要素が高く、私たちは普段あまり遊ばない。つまり今回持ってくるゲームとして挙げるのは不自然だった。 あえて、彼がこれを挙げた理由は何だろうか。

そこには理由があった。 以前一緒にご飯を食べた時に、彼は言っていた。「年始に地元の友人が遊びに来る、ボードゲームとかをやりたい。ミステリアムとか初心者でも楽しめていいですよね」と。彼はミステリアムを持っていないので、おそらく私から借りようとしているんだな、とは思ったが、この時は明確に借りる意思を示さなかった。

つまり、彼は「遊ぶついでにそのまま借りていこうとしていた」

これに対して、彼は払うべき対価を正当に払わずに踏み倒そうとしたと私は考えている。 人から物を借りるという行為は、相手に負担を強いる行為だ。それは具体的な物品がしばらく手元から離れるということ以外にも、返ってくるまでの賃借の管理を行うコストや貸し借りを行うための物品の輸送コストなどがある。これらのコストは借りる側としては普通利子として発生する。 この管理や輸送のコストは、友達だから、という理由で”なぁなぁ”にされることが殆どだ。つまり、友人関係では物を貸す時に利息やレンタル料を取らないことは一般的だ。

ただ、ここを”なぁなぁ”にして無視しているのは貸す側の好意であり、借りる側から無視することは許されない。 だから貸し借りには正当に「貸してください」「いいですよ」というやり取りが行われ、貸す側が細かい部分については友人なので目をつぶりますと内心了承する、という暗黙のプロセスを経る必要がある。

今回、私が怒りを覚えたのは、この暗黙のプロセスを無視したところである。

本来は「貸してください」「いいですよ」というやり取りの後から行われる、物品運搬という貸すためのコストを、ボードゲームで遊ぶという別の目的に便乗しチャラにしてしまおうとしていた。そのことに私は怒っているのだ。

誤解を招かないように言うと、私は貸したくないと言いたいわけではない。私はどちらかというと気前よく貸す方だ。ただし、それは上記の「貸してください」「いいですよ」という正当なプロセスに則った上での話だ。私は運搬のコストを自分から払うことはためらわないが、そのコストが搾取されることには敏感だ。

だから、怒った。 彼は本来払うべきコストを別の目的に合わせることで払わずに済ませようとしている。「ついでだし、いいでしょう」ということだ。

ここまでが、私が怒った理由だ。

ここからは、私がこの怒りに対して、どう向き合うべきかという話だ。

まず、大きな前提として、彼は悪くないというところから始まる。 明示的に相手を悪と判ずることができるのは、公にされたルールから逸脱した時に、そのルールから逸脱したということを双方が同意した時に行える。ここで重要なのは、双方が同意することである。何故なら、ルール自体に問題があるパターンがあるからだ。相手が俺は悪くない、と主張する間は悪くなく、ルールの検証を行う必要があるのだ。 では、今回はどうだろうか貸し借りに関する考えは、私と彼で意思統一やルールがあった。今まで書いた貸し借りに関する考え方は私のものでしかない。彼にはきっと違う考え方がある。彼の中では「遊ぶついでに持ってきてもらおう、その方が手間もかからないし」というのは自然な考えだったと予想される。

方の同意が無いので”彼は悪くない”。

そして、悪くないことに対して怒りを表明すると、怒る側が悪いことになる。会話や人間関係の上で無闇に怒りを放ってはならないというのはルールだと思っている。怒るとこのルールから逸脱するので、”悪い”。

では、私はこの怒りをどう扱えば良いか。それは自分が怒りを覚えない形に状況を変えてしまえばよい。 そこで、私は怒らずに、自分の中の搾取されたくない、という感情を満たすために、事前に貸し借りについて了承を付けて、輸送その他のコストについてはこちら側が払いますという暗黙のプロセスを経ることにして、怒りを昇華した。「借りたい?」から「あぁ、うん、まぁいいよ」がそれに当たる。

私は自分の中の怒りについてはこのように向き合った。

自分の人間性の話をする。 「怒ったところ見たこと無いし、本当に怒ったこと無いでしょ」と言われたことがある。 勿論そんなことはなく、怒りを分解して昇華させ、結果として外に出ていないだけだと思っている。 このプロセスを自怒りの防波堤と呼んでいる。この防波堤は比較的有能だが、利用にはコストがかかる。 自分が何に怒っているかを分解し、それに対し怒らないような形に状況や態度を変化させていく必要があるためだ。 自分に気を使っている、とも言える。自分に気を使うために支払われるコストは体力だ。 睡眠不足や体調不良時には、このコストが足らず防波堤が効かないことがある(勿論声を荒げたりはしないが、無愛想になる。元々愛想が良い方ではないし、まぁ疲れてるしね、という扱いになる)

怒ったり心がざわついて良いことは、精神衛生上良くない。 健全な精神は健全な肉体に宿るというのはあながち間違いではないのだろう。

みみっちい奴だな、このくらい広い心で受け止めろよ、と内生的な自分が話しかけてくる。 でも、私はみみっちい奴なのだ、それは身長のようにサイズを広げることは難しい。だから仕方なく私はスペースを空けるために、心の整理整頓を続ける必要があるのだ。 こういう怒りの昇華作業も、その整理整頓の一環だと思っている。

同意を汲み上げる

最初は効果が月3000円の支払いが嫌だなと思った。効果が不明なものに年間で3万弱、5年で20万は看過できない。

労働組合の話だ。 その後色々とルールや制度、月々の成果を見て私は3000円に見合うメリットを享受していないと思った。

辞める手続きを事務局に依頼したところ、労働組合専任の担当者に呼び出されて撤回するよう説得された。 そこで言われたことを要約するとこうだ。 「確かに抜けても君個人としては問題がないし、加入は義務ではない。しかし、全員が抜けた時に大きな問題になる。だから抜けないでくれ」

それを聞いて、あぁ、これはNHKの受信料と同じなのかと思った。

労働組合の必要性は理解している。しかし、私自身は効果を感じられないし、労働組合の活動にも不満がある。でも全員が抜けると崩壊するから、抜けない力学が働く。

国営放送の必要性は理解している。しかし、私はNHKを見ないし、NHKにも不満がある。しかし、何故か受信料を要求される。

おんなじだ。全体の目的として必要なものに、民主制を保たせようと一旦個に判断を委ねたような、見せかけの手続きを踏む。 だからこれは必要なもので、皆の同意の上で行われているんだよ、あなたもそう思っているんでしょ?という形式を作る。知らないうちに同意させられたことになっている。

そうやって私の同意を無意識のうちに汲み上げようとしていたんだ、と思った。そして、それは邪悪だな、とも思った。

でも、結局私は労働組合を抜けずにまだ毎月3000円を支払っている。 まだ、会社を離れて行きていけない、弱い自分に自覚的になろうと。同意を搾取されている構造に自覚的になろうと。 搾取されないで済むくらい強くなるまで、払おうと思っている。

灯台の道標

森田には、「トイレには行けないから絶対に今のうちに行っておいてくれ」と言われていた。

通された部屋は大学の講義室くらいの広さがあり、一番前にはスクリーンがあり、何人かの人々が発表の準備をしていた。そこから部屋の後ろ側に向かって、4人がけの机が4列に並べられていた。聞いていた開始時間よりは20分ほど早かったが、既にその席は7割ほど埋まっており、合計200人ほどの人が既に着席していた。 想像より大規模で私は驚いた。「すごいね」と森田に言うと、森田は「だろ?」と誇らしげだった。私たちは空いている席を見つけ、並んで座った。

昨晩、「旅行って興味ある?」と森田が声をかけてきた。どうやら旅行に安く行くプランがある、会員になると年々の旅行を安く行くことができる、年に2回くらい旅行に行けば割引でトントンになり、更に普通よりグレードが高いところに泊まれる、ちょっとでも興味があるなら明日説明会があるから是非来てくれ、と誘われた。その流れの早さと、多少の強引さに気圧されながらも、基本的に誘われたら行く方針の私はやってきたわけである。

座って周りを眺めると、人の多さもさることながら驚いたのは周囲の面々である。簡潔に言うと、とても可愛い子が多い。なんだか凄いところに来てしまったような気がするな、と思った。 どうやら他のテーブルも私のように、誘った側と誘われた側のペアのようでヒソヒソとおしゃべりをしているところが多い。知らない人が多いけども、味方も確実に存在する状況。その状況は一抹の恐怖感以上に全体として高揚を生み出しているように感じられた。

12時になる。もうすぐ始まる、そういえばご飯を食べていないことを思い出した。

プレゼンターは話がとてもうまかった。私達の扱う旅行商材が何故安く行けるのか、いかにお得なのかと言った素直なプレゼンから、聞き手の空気を察し、適度な笑いも含ませる、そしてこちらの注目をひきつける絶妙な間。会場の雰囲気はドンドンと高揚していく。そして20分程のプレゼンを終えたときは会場から一斉に拍手が起こった。アンコールでもしてやりたい気分だ。

会場が十分に盛り上がったことを確認したプレゼンターは 「では、ここからは会員制度のお話をさせて頂きます。では、説明担当を変わりますね」と言った。

現れたプレゼンターは恰幅がよく、人当たりが良さそうなおじさんだった。 そのおじさんはドンドンと話していく。

おじさんの話はとても長かった。そして同じことを様々な表現で熱意を持って語る。何度も、何度も。熱を持って。30分、1時間、1時間半と時は過ぎる。 会場の熱は冷めやらない。私はお腹が空いてきた。そして、休憩もなく続く話に、とても疲れてきていた。

おじさんの話はつまり、こうだ。

あなたが新たな会員を誘うと、2人ごとに月々3500円のお金が入る。 そしてその誘った人が、別の人を誘うとその人に対してもあなたに報酬が入る。 会員はドンドン増えていっている、今入るのが一番お得だ。 入会には最初に10万円と月々1万2千円がかかる。なに、8人誘えばもとが取れる。そこからはただただお金が増えるだけだ。 そう、あなたの幸せはここにある、あなたたちは運が良い。こうやって幸せになるチャンスに巡り会えた。

そう言っていた、と思う。これってマルチ商法じゃないか、ということも気づいていた。

2時間の話が終わり。おじさんは「では、ここからは個別質疑応答にいたしましょう」と言った。 すると、各テーブルに対してスタッフが椅子を持って近づいてきた。私達のテーブルにも一人の爽やかな青年がやってきた。

「初めまして、先ほどの説明だけじゃ分からないと思うから説明しますね。何か分からないことはありますか?」

わからないこと、何も分からなかった。ご飯が食べたかった。ただ私は相手の気を悪くさせないように言葉を選ぶ。8人も誘うって大変じゃないですか?10万円ってやっぱり高いと思うんですけど。ドンドン会員が増えていったら旅行の予約を取るのも大変ですよね。

1質問をすると10返答が来る。これが延々と続く。終わりのない螺旋階段を降りている気分だった。

これって、マルチ商法ですよね、とも言ってみた。 「でも、マルチ自体は違法じゃないんだ、悪い印象があるだけでそれはそこが特別悪質なだけなんだよ、私達のところは……」

そんなことは知っている。本当はそんなことが聞きたいわけじゃなかった。マルチの善悪なんか興味はない。何故私は食事を摂ることもできずに、こんな説明を受けているのかが分からなかった。そんな冷静なことが考えられていたのも最初だけだった。 1時間も経つと、いつしか私は入らない理由を彼らに問い続け、そしてそれを否定され続けるようになっていた。いや、だって、でも……そんな言葉が増えていった。

そして、これもまた2時間近く続いた。もう私は限界だった。何も考えることができなかった。

長い長い質疑応答が終わると、アンケート用紙が配られてきた。 そこには簡単なプロフィールと共に、このような設問があった。

「あなたは入会しますか?」 はい/いいえ/検討中

私は悩んだ末に、検討中に○をした。

次の設問、「あなたが入るかを悩んでいる理由は何ですか?」。お金の理由、友達を誘う自身がない、旅行に行く予定がないなどいくつかの設問が並んでいた。 私は思いつくものに○をして、次に進む。

「その入らない理由が無くなったときに、あなたは入会しますか?」はい/いいえ

はい/いいえ

私はそこに印を付けることができなかった。もう考えたくなかった。私は大きくはい/いいえ両方に○をして、森田に見られないようにアンケート用紙を近くのスタッフに渡した。

森田が「どうすることにした?」と聞いてきた。 「検討中」と答えると、「ふーん、そうか。まぁよく考えろよ」と言われた。

どうやら入会します、に「はい」をつけるとそのまま入会書が配られるらしい。そこで私はまた愕然とする。 みんな書いているのだ。そう、みんな。前に座っている髪の長い子も。右に座っているいかつい兄さんも。左も、後ろも。みんな。 10万円の支払いと月々1万円を超える支払いを許可しているのだ。みんなが何を考えているのか私には全然分からなかった。 書いている人は頭を下げている。多くの人が少し頭を低くしているのは凪いだ海のようだった。私は暗い海にポツンと放り出されていた。ただ僅かだが、私と同じように頭を上げている人たちがいた。他より少し高いその姿は暗い海の灯台のようだった。

その灯台は間違いなく私の道標だった。

「では、これで説明会を終わります」

司会者がそう言って、私はやっと終わった、とただただホッとした。空腹はもう限界だった。 森田に「このあと懇親会があるけど、出るってことでいいよな」と聞かれた。有無を言わさぬ感じで。

空腹は確かに限界だった、美味しいものも出るのだろう。

私は灯台の道標に従うことにした。 「いや、悪いけど今日はやることがあるから帰らせてくれ」 「あー、そうか。ちょっとでも興味があるなら出といた方が良いぜ?いや、勿論無理にとは言わないが」

無理にとは言わないが、と繰り返しながら誘う森田に、悪いけど悪いけどと繰り返しながら部屋を出た。

森田は別れ際に最後にいった。

「今日のことは自分の頭で考えてくれ。誰かに言われて考えを改めるのは、俺は違うと思うから」

外はとても寒かった。お腹も空いていた。

そして、私はトイレに行きたくなった。 思考だけではなく、尿意まで奪われていたことを思い出した。

精神的ヤリチン

最近、多くない?こういう奴。

そう言って、彼女は弄っていたスマホの画面をこちらに向けた。それはTwitterのタイムラインだった。私はスマホを受け取り、スルスルとスライドして眺める。そこには、30%程は彼の趣味の話、70%程は彼女が欲しいや、女の子に癒やされたい、守って欲しい、救って欲しい、または冗談のようにカップルにむき出された憎悪など。

確かに、多い気がしますね。僕のタイムラインにもいますね。空から女の子を夢見ている感じの人。

私、こういう奴むかつくんだよね。そう言って、僕から返されたスマホの画面に指をつきたてグリグリと押し付ける。

見てて愉快なもんだとは思わないけど、こういうツイートをしちゃう気持ちは理解できるので強い批判はしにくいな、と思いますね。あんまり強く表明はしないけど、自分にはそういう片鱗はありますしね。

まぁ、君も割とメルヘンなところあるしね、と笑った。まぁ思うのは仕方ないよ、それなりに一人で生きていくって寂しいしね。私には今んとこ犬がいるから大丈夫だけど。

だけどさ、私がむかつくのはこいつらがあまりにも無自覚なことなんだよね。

こういう奴って、女の子に救って欲しい、助けて欲しいと主張する。だけど、自分からは逆に何も提供しようとしない。自分はこんなに日々傷ついているんだから、守られ支えられることを当然だと思っている。じゃあ、仮にあんたを支えてくれる女の子がいたとして、その子に対してあんたは何ができるの?あんたたちは自分が優しいことを長所と勝手に思っているかもしれないけど、優しいって何?何もしないことを優しさだと思ってんの?そんなの、ただ彼女たちから感情を搾取したいと言ってるのと変わらないじゃない。そんなのただのヤリチンと一緒だからね、あんたらが大嫌いなヤリチンと一緒。そういうことにあまりにも無自覚なことが見ていて本当にムカつく。

こいつらは精神的ヤリチン、と言って彼女は〆た。

 

なんで、精神的ヤリチンになっちゃうんですかね、私は聞いた。

それは弱さって、使い勝手が良いからじゃない。彼らは満たされないという弱さを武器にしているから。今強さって使いにくいんだよ、それは威力が高いから結果も派手だし、使おうとするだけで非難されるからね。でも、弱さを武器にしても周りは止めにくいし、仮にそれで他人を傷つけても、誰も。切った本人は気づかないし、切られた方はちょっとモヤッとする程度。でもそれは間違いなく傷つけてるからね。

だから、少しは自覚的になりなさい、あんたの中の刃物にさ。

 

黒くなっていく

携帯を見ると、LINE通知が溜まっていた。緑色のアイコンはすべて同じ差出人であることを示していた。彼は時折大量のLINEを送ってくる、そして僕の反応を期待しているわけじゃない。

LINEとはコミュニケーションのためのツールじゃないの?、と聞いたところ、君のLINEは僕のTwitterだからねと笑って返された。Twitterなら仕方がない。彼のタイムラインを唯一のフォロワーたる僕は眺める。

 

おすすめされていた漫画、読んだよ、フラジャイル。とても面白かった、そして絶妙に凹む。有能な頭脳と旺盛なモチベーションが欲しいと思ったな。

仕事って、とても難しい。仕事には決められた手順というのがある、そして往々にして決められた経緯は不明瞭だ。
だから本来正しい手順でやるべきだけど、手順を前後することのメリットは分からない。かといって、正しい手順でやるデメリットも存在しない、強いて言えばただただ面倒くさい、それだけの理由。だから、つい手抜いてしまう。

そういう風に仕事をしていたら、半年後に想定外の事態から、手順を前後したデメリットが発露する。

恐ろしいのは、周囲はこのトラブルの原因が、僕が手抜いたことにあるということが分からない。何故なら誰も正しい手順で行っていないし、正しい手順自体を知らないから。

でも、自分だけは分かる、これが発生したのは自分がやるべきことをやらなかったから、でも声をあげなくても誰も気づかない、言葉を飲み込み、自分だけが凹む。

分厚いガイド的なものを何冊も読んだり、休日をある程度返上して現場を廻ったりすれば潰せるミスだな、と自分は理解している。でも、やらない、有能な頭脳も旺盛なモチベーションが無いから。分かってて時間外の仕事をしていないから、そして、これは俺のせいだというミスを見つける。凹む。

僕の仕事は命はそんなにかかわらないけど、多かれ少なかれ仕事をしている人は感じそうなところを抉ってくる、良い漫画だなと思った。

 


彼のTwitterはいつもとても面白い。不真面目な体に、理想の心が住んでいて、そのギャップに苦しんでいる。彼は大学に通わずに3年間留年をした、その間何をしていたの?と聞いたら「大学に行かないことで感じるストレスと日々戦っていたんだ」と言った。私は彼には真面目に行動を起こせる体か、理想を直視しない不真面目な心のどちらかを与えてやるべきだったな、と思った。
私は彼に返答を打つ、”感性の幅が広がった、という意味で労働も悪くないね”。すぐに既読マークが付き、私は反応を待つ。


広がるのではなく失っているのだと言った作家がいたよ。色を加えすぎて、どんな人も最後には人生を真っ黒にしてしまうから、その色が万人共通の真実に見えてしまう。

様々な体験によって人が賢くなり心理に近づけるなんて錯覚だ。それはただの黒い色に過ぎない。


私たちは労働で消耗し、少しずつ自分の色を失い、ただただ黒に近づいているのだろうか。そうかもしれない。
私は彼に返答を打つ、”それでも”、と。

”それでも、その更に黒に近づいた色は僕たちには未達の領域なんだから、それはそれで、新しい世界だよ”

既読が付く。返答が来る。

 

まぁそうだね、僕もどちらかと言うと、そう思う。昔より人生は、楽しい。

 

私の範囲

ドンドンドンとドアの向こうを人が通過する音がする、私はそれで彼が帰ってきたことを知る。彼の部屋は一番奥の角部屋なので、階段のすぐ近くにある私の部屋の前を通過することになる。穏やかで、理知的な言動を取るにも関わらず、足音だけとても大きいのは何だかアンバランスで面白いと思う。

月曜日は週間少年ジャンプの発売日だ。彼は毎週それを買って帰る。しかし、読まずに部屋の隅に重ねている。いつ読むの?と聞くと、いつか読むよと返ってきたことがある。そして実際に先月一ヶ月ほどかけて、一年分のジャンプを読み通していた。私は漫画を熟成させる趣味がないので、月曜日の夜は彼の部屋に読みに行くことに決めていた。

彼の部屋のドアをノックし、そのままガチャリと開ける。寮にはプライバシーの概念は希薄だ。必要ならば鍵をかけることが暗黙のルールとなっている。 彼は私が部屋に行くと、いつもPCに向かっている。おかえり、ただいま。一応の挨拶をして、私はその辺に置かれたコンビニ袋からジャンプを取り出し、座椅子に腰掛けジャンプを読み始める。

「最近、どう付き合っていけば良いのかよく分からないんだよね」と彼は言った。私はゆらぎ荘を読んでいたところから顔を上げる。

彼には同期入社の彼女がいる。その子のことは私も知っており、友人である。だからたまに話を聞くことがある。

そして、その子は数少ない私が泣かせたことのある女の子でもある。 それは、会社の同期飲みだった。たまたま隣の席になった彼女と話していた。その中で、少し見解のズレが発生するような話になった、そうなんだ、それは僕の考えとは違うね、僕はこう思うけど、それは君とは違うと思う、でも君がどう思うかは君の自由だよ。そして、泣かれた。

未だに何故泣いたのかは分かっていない、あれから先一緒に遊ぶ機会があってもあのことには触れていない。 ただ、自分と他人の境界が曖昧な子なのかなと思った。だから、僕に赤の他人である、としっかり線を引かれることにショックを受けたのかなと思っている。

「なんかあったの」

彼は言う。仕事の依頼のメールが来た「今週中にこれをやってくれませんか」、今は仕事が立て込んでいる、その作業はこのくらい時間がかかる、私は今このくらいしか作業時間を確保することができない、だからどう早くても来週半ばまでかかる、そう返信した。その返答を見た相手は「じゃあ無理ということですね」と話はそこで終わった。このやり取りは部署内のメーリングリストで行われたため、彼女は見ていた。

「あの断り方はありえない」後日そう言われたと言う。あなたはいつもそうだ、効率だけを意識して相手のことを考えていない、正しいならそれでいいと思っているのか。

「僕は、逆に彼女は仕事を引き受けすぎていると思っている。一日にできる仕事の量に限りはある、何でもかんでも受けて無限に仕事を増やしても辛いだけだ。だけど彼女は断れない。断ることを悪だと思っている。そしてその引き受けた疲労を夜な夜な僕にぶつけてくる。毎晩3時まで電話に付き合うのは、正直、しんどい。」

彼は天井を見上げ、勿論その考えは良いことだとは思うんだけどさ、と言った。 彼は優しいな、と思った、疲れ切っていても彼女の立場に理解を示そうとしている。

私は彼女が泣いたときのことを思い出していた。意見の対立を面前に突きつけたら泣いてしまったときのことを。彼女は他者を理解し、同時に自分を他者に理解して欲しいと思っているのだろう。だから、他人が苦労していれば仕事を引き受け、自分が苦労していると他人に引き取って欲しいと思う。彼女の自我は、どこまでも広がっており、世界を飲み込んでしまっているのだろう。

私は自分は自分であり、他人は全く別の生き物だと思う。お互いに理解している振りをしているに過ぎない。お互いに解釈不能な内在ロジックで動いており、一部を言語というプロトコルを通して通信している。私たちができるのはプロトコルに基づいた解釈だけだ。だから、言葉はできるだけ丁寧に使い、伝わってほしいことははっきりさせるべきで、察して欲しいという感覚は傲慢だとすら思っている。

同時に、だからこそ自分は誰も助けられないな、と思った。

「どうしたら良いんだろうね」 彼は言った。

私は答える。 「どうしようもないね」 無力な私は、「まぁ愚痴なら聞くよ」と私の境界に線を引いた。

生きるためのメモリ領域

仕事で少し行き詰まった。設計書を眺め、ソースコードを眺め、デバッグコードを走らせてみる。「プログラムは書いた通りにしか動かない」偉い人が言っていた。確かにその通りだと思うが、その言葉は何の慰めにもならない。一通り現在のレイヤーで調べられることは調べ終え、このままだとフレームワークなどもう少し低次のレイヤーまで調べに行かないとならないか、と嘆息をついたところで、歌が流れ出した。昔一斉を風靡した歌手の名曲らしい、生憎私は知らない。この曲は今業務時間の終了を告げる音楽となっている。私はカバンを持ち、周囲にお疲れ様ですと声をかけ職場を後にした。

頭には煙が詰まっているようで、行き詰まった箇所をあーでもないこうでもないと燻し続けている。電車に乗っても本を開くことができない。頭は文字を理解せず、目は単語を追うことができない。私はこの感覚はとてもまずいものだと知っていた。 乗り換え駅に付き、電車を降りた。別の路線に向かう人の流れをはずれ、宝くじ売り場の隣に立つ。宝くじ売り場の近くでは店員が買えば3億円当たるかもしれないよ、と流れに向かって呼びかけている。 私はポケットから緑色の耳栓を取り出す。シリコンでできたそれは力をかけると形が変わり、じわじわと元の形状へと戻る。私は細長く潰し、耳に突っ込んだ。一瞬鼓膜の付近の気圧が代わり、耳がツーンとなる。そして、じわじわと少しずつ私と世界を繋ぐチャネルが塞がっていくのを感じる。そして私は目を閉じて深く息を吸う。

頭の中はまだザワザワと音を立てている。私はただ自分の息を吸う音と鼓動の数だけに注目する。聞こえない耳で静かな世界を聞き取ろうとする。

ときどき、私はこうしている。考え事が膨らみ制御できなくなると、頭の中の生きるために利用しているメモリ領域を侵食されていく。だから私はただ生きるために必要な作業以外のすべてを忘れることにした。耳をふさぎ、目を塞ぎ、すべての情報を遮断し、ただ生きるための作業だけに集中する。段々と私は生きる方法を取り戻していく。息を吸って、息を吐く。そして、少しずつ、その作業を脳内のバックグラウンドに移動させていく。不調なく活動していることを確認し、目を開き、耳栓を外す。宝くじ売り場の店員は3億円が当たるかもしれないと言っている。

その場を離れ、駅のホームへと歩きだす。駅のホームでは電車を待っている人たちが並んでいる。その後ろに並び、本を開く。今度はちゃんと読むことができた。