2017/09/29:excelとメール添付がなくならない理由

excelとメール添付がなくならない理由

SIer所属のものがexcel資料の邪悪さについて語ることはお約束みたいになっています。

この時代に未だにエクセルに資料を書いてメールに添付して、メールで指摘点を記載して返すみたいなやり取りをしていて、本当に頭悪いな、と個人的に思うわけです。

 

excelが重宝されている理由は、windowsPCにほぼ標準で備わっているランタイムであるからという以上の理由はなく、メール添付というやり方はファイルを同期する手段が存在しなかったから、に過ぎないと思っています。

 

勿論excelやメールが便利なこともままあります。excelはデータ整形などはやはり便利なので、利用頻度も高いことはわかります。

メールは最近はちゃんと考えればもう無くても良いのかなと思うことはあります。

 

少なくとも物事は適材適所なので、最も便利なことに最も便利な方法を使いましょうという話です。いわゆるピーターの法則の前段階ですね。掃除機が吸引器に使われる世界です。

ピーターの法則 - Wikipedia

 

僕は割と軽々しく頭悪いなと思ってますが、自分を含めて頭悪いのがデフォルトだと思っているので、頭悪いことは別に良いと思います。頭の悪さとは結局個人個人では最適であるが、全体として不幸になっている状態、いわゆる局所最適と全体最適のうちの局所最適的状態だと思っています。だから、まぁ一面を取れば大体正しいんですよね。

 

その考えで、なんでこんなexcelメール添付運用がなされているのかというと、

まずある年齢より上の人があまりにそれに慣れすぎてしまっているということがあります。

そして、方法や手段を変えると、新たに学習コストがかかりますが、年齢や経験が積まれるに従ってこの学習コストも上がっていきます。

 

そして、年功序列という仕組みにより年齢が高い人程、賃金も高い。

 

これらを考えると、仮に生産性が改善されてもトータルのコストは上がってしまう(もしくは劇的な効果がない)ということが予想されてしまうのかなと。

 

式で考えましょう

学習コストは習得までの時間と考えます。これは年齢が上がる程大きくなります。

(学習コスト) = (学習難易度) * (年齢)

 

賃金は年功序列により年齢に応じて上がります

(賃金) = (賃金係数) * (年齢)

 

改善後のコスト改善は仕事量に、生産性向上率をかけた値になります。

(仕事のコスト) = 仕事量 * 生産性向上率

 

つまり、以下にならない限り改善のインセンティブは働かないわけですね。

(学習コスト) * (賃金) > (仕事のコスト) 

 

(学習難易度)*(賃金係数)*(年齢)^2 > (仕事量) * (生産性向上率)

 

年齢が二乗の係数でかかってしまっているので、他の値が多少よくても結局現状維持の圧力が強くなるのかな、というのが最近の理解。

 

つまり、僕がストレスを受けていても、会社全体としては大した問題ではないのでしょう。やはり皆変更しないことのメリットの方が大きいことを理解しているから、糞みたいなやり方を続けているんだな~としみじみします。

 

2017/09/28:正論で殴る人と自分への嫌悪

◆自分の不完全さ

 

senes7144.diarynote.jp

 

シミジミする話。

自分は以前のようにMTGをやっていませんし、この人と同じようにMTG自体が面白くないと思ったわけではないですが、負けるのが嫌でプレイ自体を楽しめなくなるという感覚はわかるような気がします。

 

多分最初の頃よりある程度強くなってからの方が起こりやすいのかな、と。

以前もちらっとゲームを「勝敗を重視するか」「楽しめるかどうかを重視するか」という価値観の対立はどんなゲームを見ていても発生するもんだと思ってます。

勝たなきゃ意味がないという意見も、楽しめればオールオッケーという意見どちらも一理あり結局価値観に優劣は無いんだな、ということを思い知らされます。

 

 

この記事を読んだ僕の感想は、「気持ちはわかるけど、どうしようもないね」というのが正直なところ。

 

ここからはもう少しドロドロした感想ですが、

この記事はまぁまぁバズったので結構色々な人がコメントをしていて、

「楽しく無いならやらなきゃいいじゃん」

「本当に上達したいと思っていたら、そんなことを考える余裕はない」

的なコメントもある程度散見されていて、まぁそりゃ正論だけど、そのコメントをこの場ですることの意味はないよな、と思うわけです。

 

こういうある程度共感を得られそうな記事に登場する、正論で殴る人たちが割と好きじゃないです。

こういう人たちはある程度状況も理解し、意見も正しく、だからこそポリシーを持っていると思います。言い方を変えるとそれなりにカリスマ性もあるかなと思ってます。

 

だからこそ自分の考えやポリシーを疑わない態度に、ちょっとモヤッとするわけです。

 

 

じゃあ何でもやっとするかというと、結局僕自身が自分の考えや自分自身について疑り深く、自分の考えや立場や意見の不安定さにかなり自覚的で、発言すべてに虚構感を感じてる分、何かしらの実感やポリシーを持った発言に嫉妬しているだけなんだろうなぁと思ってます。

 

そう、いつもどおり問題は自分の中に存在するわけです。

 

そしてそれはどうしようもないことなわけです。

 

◆Dice Forge

 

gigazine.net

 

楽しそう。そのうち買いそう。

2017/09/27:月末不調

◆定期

最近寝不足気味でメンタル不調。月次の定期イベントのようなもの。

 

コーヒーは取らない方が良いのかもしれない。最近効きすぎる気がする。

 

漠然としたもやもやが多く、

周囲も同じもやもやを抱えて欲しいという淡い欲求がある。

自己で完結したいと思いつつ、周囲の共感を期待する下衆さに辟易する。

 

欲しいもの、なりたいものへの道が遠い。そしてそこには執着のような努力を必要とする。

こんちくしょうである。

 

そう、頭が悪くて変えられないのである。

 

 

2017/09/26:引っ越しを考える

今年度一杯で寮を追い出される。満了迄いても良いが、早く出てもよい。

いつ出るのが得なのか、ということを考えている。

 

[現在の状況]

・通勤:1時間

・立地:少し田舎で都会に出にくいがそこまで出る頻度は高くない

・家賃:1万円(社員寮のため)通常だと8万円相当で結構広い

・その他:同期が近くにいるので、色々と融通が効く。宅配box

 

[引っ越しでのざっくり想定]

・通勤:ドアtoドアで30分以内を目標。近ければ近いほど良い。

・立地:特に問わない

・家賃:8.5万くらいを希望

・その他:25平米くらいを希望、宅配boxがないと死ぬ。設置型でも良いが…。

 

優先度は通勤>その他>家賃

 

[金銭的観点]

家賃補助が3万円出るため、仮に8.5万の場所だった場合、月あたり4.5万円の差になる。

12月に出た場合、約13.5万円の差になる。

契約料と引越し料金が3月になるほど高いと考え、引越し料金が仮に1万円異なるとすると、大体1年のスパンでの償却を考えると、家賃の変化が1万円以内なら3月までいたほうが良いことになる。

 

[時間まで考慮に入れた場合]

給与には通勤時間も入っているという考え方の場合、月140時間で額面25万の場合、実態は1日2時間の20日から180時間で25万。

通勤が0.5時間になると、160時間で25万ということから単純に給与1.125倍になる。つまり月で約3万円相当ということになる。実態は通勤はすべてにおいて損失ではなく、本を読むことなどができるため、通勤の負担は50%ほどとすると、月での通勤が短くなることによる利得は1.5万円相当ということになる。

 

この考えに、金銭的観点を加えると、月辺りの差は3万円。

引っ越し費用の観点も加えると家賃変化が7000円というのが損得分岐点といったところだろうか。

 

上記の考えに加え、物件の探しやすさや空き率なども考慮に入ってくることを考える、

いなくなる人より地方から入ってくる人が多いと考えた場合、3月になるほど物件は探しにくくなるとする。そうするとざっくり月の家賃差が5000円相当かな、という印象。

 

諸々考えると、12月の段階で出ておいた方が、メリットは大きいような気がする。

更に来年で転職する可能性があるとすると、更に引っ越しが発生するリスクがある。そう思うと早めに引っ越して契約をしておいた方が無難なきがしてきた。

 

12月は実際は繁忙期らしいので、11月or1月が狙い目かもしれない。

 

 

2017/09/25:気持ち悪いですね

◆自分を表す言葉

土曜日は身内勉強会、日曜日は友達と二人で皇居ランをしてました。

 

似非リア充です。

 

最近ぼやっと思うことは、言葉に起こされないと人は認識ができないという価値観ってありますよねっことです。そして、自分は自分に対してラベリングすることがうまくできねーなと思ってます。似非リア充です、といったのもとりあえず適当な枠組みにおさめて見ようかなと思っていってみました。

 

例えば、承認欲求という言葉が認知されることで、色々なものが承認欲求の発露として捉えることが可能になった。勿論、領域を超えたところにまで適用されることによる弊害はありますが、認知し検討しやすくなったことは名付けやラベリングの意義だと思います。

 

最近、とらのあなが主催しているとら婚がTwitterであまり良くない意味で話題になっていました。炎上自体はどうでも良いとして、そこで気になったのは自分がとら婚のオタク婚活のターゲット層たりうるのか、つまり自分はオタクなのかどうかってことをふと思ったわけです。

 

割とオタク寄りの趣味だとは思います。

TVゲームもやりますし情報も収集しているし、アニメも割と見るし、映画も月一回くらいは何か見に行くし、そして作品について人と会話するのも大好きです。可愛いと思うキャラがいたらアイコンにしたりすることもやぶさかではないし。

最近はRICOH がTHETAの初音ミクモデルを発売していたので、喜々として買いましたし、そういうよくわからんグッズを買ったりもします。

 

だけど、なんかまぁ所謂典型的オタクとは線とか壁があるような気がしたりしてます。

それがオタク婚活のあなたは何オタクですか?の質問で自身を持って選べるようなものがなかったからなのか、ボードゲームという選択肢が存在しなかったとかもあるかもしれません。ただ、一番はそういう風に典型的パターンに則って自分をアイデンティファイすることへの嫌悪感が強いからなのかなぁと。

 

つまり、自分は自分であるということへの強い自意識のなせる技なのでしょう。

気持ち悪いですね。

2017/09/22:教育とか勉強について思うこと

◆ポーカー

ポーカーはどこまででも負けるので今まで勝っていた分が逆に気のせいだと思うことにしました。少なくとも安定感のある勝利ではなかったのだろうと。

 

まぁゲームで負けるのはよくあることなので、懲りずにハンドの振り返りと勉強だけはちゃんと続けましょう。

 

それでも凹むものは凹むので、SlackBotで結果を報告すると、前川みく(アイドルマスターシンデレラガールズ)が慰めてくれる機能を追加しました。

こういうキャラクタの台詞を考えていると、キャラクタという偶像の凄さを感じ入ったりしますね。

 

SlackBot作りは結構面白いのでボチボチやっていきます。

 

N予備校

www.nnn.ed.nico

 

プログラミングコースの評判がかなり良いそうで、気になっています。月1000円らしいし、結構プログラミングを体系的に最初から学び直したい欲求があるので、受講しても良いかなって感じ。

 

話は変わりますが、うちは実家が個人塾を営んでいるので、教育とか学力向上について親とたまに話します。

親も子ども3人が平均的に高学歴寄りなので、第三者評価では学力という点では教育に成功しています。結果、個人塾を営んでいるという立場からも何か教育に対して一家言を持ちたいと思っているようです。

 

そもそも、勉強ができたほうが良いかという話では、個人的には勉強ができているからといって幸福のすべてではないと思いますが、まぁ極端な不幸には陥らないので、できたほうがリスクは小さいかなと思っています。自分も主観的幸福には至れてませんが、不幸というには贅沢な気がします。そのくらいに至れたことの一つに、突き抜けたものはなくても、そこそここなせることと、金銭的に困窮はしていないことが理由です。

 

ただ努力の大半がそうですが、結局は習慣化の力かなと思っているので、いかに学習習慣をつけられるかが学力向上の鍵かと思います。習慣は外部からの矯正で身につくものではないので、自発的に習慣化させる必要があります。

人間が嫌なことでもある程度続けられるのは、その結果何かしらの成功につながったという体験、いわゆる成功体験が必要というのが持論です。

 

自分はそれなりに学習習慣(方向性はともかく)がついているのは、まぁやれば何とかなるだろうという淡い予感があるからだと思っています。僕より更にできる人は僕以上にそういった体験があるんだろうな、と勝手に想像しています。

逆に失敗や挫折からは人は学べないと思っています。基本的に失敗はしないほうが良いです。少なくとも成功の比率は上げていくべきです。

 

話を戻すと、一度成功したら、その体験をもとにさらなる成功体験がつながりますが、

人間生まれたときは0なわけで最初の成功体験をどう導くか、という話になりますが、

教育の役割はその辺にあるのかな、と。

あとは、親がある程度教育に対しての成功体験をある程度持ってないと辛いのかな、と。子どもが親を真似るのはある程度仕方ないかなと。

 

だから、子どもに勉強させたいなら、親がまず勉強したら良いんじゃないかな、と結構思ってます。親がしてたら、そういうもんかなと子どももするかと思うんですが。

 

逆に親が勉強が嫌いだったり、意味を心から感じていないならば、それを子ども(他人)に言うことって個人的に違和感あります。

自分が信じているものを、他人に信じさせることですらかなり傲慢なのに、自分が信じてさえいないものを他人に信じさせようとすることのおぞましさを感じます。

 

こういうのって勉強に限らずすべてに言えると思います。

 

2017/09/21:コミュニケーション

◆Slack botを立ててみた

友人との会話の場をLINEからSlackに移行した。

LINEはインスタントなメッセージのやり取りには向いているが、やはり記録として残す機能が弱いので、もう少し活動の幅を広げるためにSlackに移行することにした。話題をチャンネル別できれることも割と意味があるようにみえる。

 

その中でSlack_botを作ってみたかったので、ちょっと調べながら作ってみた。

参考にしたのは以下など

qiita.com

 

とりあえず、決め打ちの文言が帰ってくる程度だがローカルのサーバー上で上手いこと動かせたので良し。しかし、WebSocket的な方法で接続してるのかな、これ。リアルタイムでタイムラインを読み込んでいるように見えるけど、原理がよくわからず。

 

まぁ、ぼちぼち必要そうな機能を増やして行けたらなと思っている。

 

ボドゲ街コン

同期から誘われていたが、全体的にタイミングが合わずにお流れに。

コミュニケーションのためのボドゲって、僕の中では目的と手段が入れ替わっているようでちょっと不安なので、まぁホッとした面もあるというか。

 

そういえば、先週の土曜日にボドゲカフェ行きました。

 

・惨劇ルーパー

 好きなので紹介。一人はかなり気に入ったけど、他二人は難しすぎて無理とのこと。

 どうやったら面子を増やせるか悩ましい

・ボブジテン【初体験】

 カジュアル系のゲーム。カタカナ語使用不可でカタカナ語を表現するゲーム。

 何かしらないけど得意でした。連想ゲームとか得意な記憶ないんだけどな。

・7 Wonder

 有名だけど皆あまりやったことないそうなので。

 5人はちょっと少ないと言われるけど、それでも十分面白かったかな。

 まだイマイチ勝ち方がわからないんだけど。

・Aquire

 ルールブックが貧弱過ぎてルールがわからずプレイせずに断念。

・Zoololet【初体験】

 ボドゲ大賞を取って気になっていたので、プレイ。

 ドラフト系ゲームで思った以上に奥深いゲームだった。当初序盤にあまりリスクを取らないことが大事かと思ったが、実際に試してみると序盤のリスクは中盤の受けの広さにつながり、後半に十分取り返せるなと思った。

 こういう当初の印象と実際にプレイした感覚が異なるゲームは良作が多い気がします。

 

ボドゲ街コンもこんな面白いと良いんだけど、あんまりそうなる気がしないんだよな。