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怒りの取り扱い方

怒りの取り扱い方の話をしようと思う。

「年末、ボードゲームで遊びましょう」と誘われた。平均月に1回くらいの頻度で私たちは集まってボードゲームをしている。 ボードゲームは元々私の趣味で、最初は私から友人数人に声をかけていた。ただ、私は寮住まいの関係上、遊ぶ場所を提供できない。だから、一人暮らしの奴の家に私がボードゲームを持っていき、その場で遊ぶというのが恒例となった。今回もその一環だった。

「何を持っていけばいい?」と私は聞いた。 ボードゲームには様々な種類があるが、大きく分けると2つある。運要素が強くパーティゲームとして楽しめるものと、高い戦略性を必要とするゲーム性が高いもの。私たちはどちらかと言うと戦略性が高いゲームを好むので、聞いた段階で頭のなかでいくつか候補があった。

「そうですね、宝石の煌めきとアグリコラと、あとミステリアムを持ってきて欲しいです」彼は言った。

これを聞いて、私は軽い怒りを覚えた。何故だろうか。

そこからの会話はこう続く。

「ミステリアムって、もしかしてそのまま借りたい?」私は聞いた。

「あぁそうですね、できたらお願いしたいです」

「あぁ、まぁいいよ」

後半の会話は私が自分の怒りを適切に取り扱うために必要なものだった。

この流れを元に、自分の怒りと、その扱い方について話をしたい。

まず、怒りの原因を話そう。(ここで言う怒りとは内心のイライラ程度で、声を荒げたり、不快感を表明することとは別に扱う。)

結論を言うと、彼の挙げたボードゲームから、別の目的が分かってしまった。そして、それを達成するために払われるコストを無視しようとする態度に対して腹が立ったのだ。

宝石の煌めきとアグリコラはかなりゲーム要素が強く、今まで何度も遊んだ。今回持ってきて欲しいと言われたことも分かる。

問題はミステリアムの方だ。これはパーティ要素が高く、私たちは普段あまり遊ばない。つまり今回持ってくるゲームとして挙げるのは不自然だった。 あえて、彼がこれを挙げた理由は何だろうか。

そこには理由があった。 以前一緒にご飯を食べた時に、彼は言っていた。「年始に地元の友人が遊びに来る、ボードゲームとかをやりたい。ミステリアムとか初心者でも楽しめていいですよね」と。彼はミステリアムを持っていないので、おそらく私から借りようとしているんだな、とは思ったが、この時は明確に借りる意思を示さなかった。

つまり、彼は「遊ぶついでにそのまま借りていこうとしていた」

これに対して、彼は払うべき対価を正当に払わずに踏み倒そうとしたと私は考えている。 人から物を借りるという行為は、相手に負担を強いる行為だ。それは具体的な物品がしばらく手元から離れるということ以外にも、返ってくるまでの賃借の管理を行うコストや貸し借りを行うための物品の輸送コストなどがある。これらのコストは借りる側としては普通利子として発生する。 この管理や輸送のコストは、友達だから、という理由で”なぁなぁ”にされることが殆どだ。つまり、友人関係では物を貸す時に利息やレンタル料を取らないことは一般的だ。

ただ、ここを”なぁなぁ”にして無視しているのは貸す側の好意であり、借りる側から無視することは許されない。 だから貸し借りには正当に「貸してください」「いいですよ」というやり取りが行われ、貸す側が細かい部分については友人なので目をつぶりますと内心了承する、という暗黙のプロセスを経る必要がある。

今回、私が怒りを覚えたのは、この暗黙のプロセスを無視したところである。

本来は「貸してください」「いいですよ」というやり取りの後から行われる、物品運搬という貸すためのコストを、ボードゲームで遊ぶという別の目的に便乗しチャラにしてしまおうとしていた。そのことに私は怒っているのだ。

誤解を招かないように言うと、私は貸したくないと言いたいわけではない。私はどちらかというと気前よく貸す方だ。ただし、それは上記の「貸してください」「いいですよ」という正当なプロセスに則った上での話だ。私は運搬のコストを自分から払うことはためらわないが、そのコストが搾取されることには敏感だ。

だから、怒った。 彼は本来払うべきコストを別の目的に合わせることで払わずに済ませようとしている。「ついでだし、いいでしょう」ということだ。

ここまでが、私が怒った理由だ。

ここからは、私がこの怒りに対して、どう向き合うべきかという話だ。

まず、大きな前提として、彼は悪くないというところから始まる。 明示的に相手を悪と判ずることができるのは、公にされたルールから逸脱した時に、そのルールから逸脱したということを双方が同意した時に行える。ここで重要なのは、双方が同意することである。何故なら、ルール自体に問題があるパターンがあるからだ。相手が俺は悪くない、と主張する間は悪くなく、ルールの検証を行う必要があるのだ。 では、今回はどうだろうか貸し借りに関する考えは、私と彼で意思統一やルールがあった。今まで書いた貸し借りに関する考え方は私のものでしかない。彼にはきっと違う考え方がある。彼の中では「遊ぶついでに持ってきてもらおう、その方が手間もかからないし」というのは自然な考えだったと予想される。

方の同意が無いので”彼は悪くない”。

そして、悪くないことに対して怒りを表明すると、怒る側が悪いことになる。会話や人間関係の上で無闇に怒りを放ってはならないというのはルールだと思っている。怒るとこのルールから逸脱するので、”悪い”。

では、私はこの怒りをどう扱えば良いか。それは自分が怒りを覚えない形に状況を変えてしまえばよい。 そこで、私は怒らずに、自分の中の搾取されたくない、という感情を満たすために、事前に貸し借りについて了承を付けて、輸送その他のコストについてはこちら側が払いますという暗黙のプロセスを経ることにして、怒りを昇華した。「借りたい?」から「あぁ、うん、まぁいいよ」がそれに当たる。

私は自分の中の怒りについてはこのように向き合った。

自分の人間性の話をする。 「怒ったところ見たこと無いし、本当に怒ったこと無いでしょ」と言われたことがある。 勿論そんなことはなく、怒りを分解して昇華させ、結果として外に出ていないだけだと思っている。 このプロセスを自怒りの防波堤と呼んでいる。この防波堤は比較的有能だが、利用にはコストがかかる。 自分が何に怒っているかを分解し、それに対し怒らないような形に状況や態度を変化させていく必要があるためだ。 自分に気を使っている、とも言える。自分に気を使うために支払われるコストは体力だ。 睡眠不足や体調不良時には、このコストが足らず防波堤が効かないことがある(勿論声を荒げたりはしないが、無愛想になる。元々愛想が良い方ではないし、まぁ疲れてるしね、という扱いになる)

怒ったり心がざわついて良いことは、精神衛生上良くない。 健全な精神は健全な肉体に宿るというのはあながち間違いではないのだろう。

みみっちい奴だな、このくらい広い心で受け止めろよ、と内生的な自分が話しかけてくる。 でも、私はみみっちい奴なのだ、それは身長のようにサイズを広げることは難しい。だから仕方なく私はスペースを空けるために、心の整理整頓を続ける必要があるのだ。 こういう怒りの昇華作業も、その整理整頓の一環だと思っている。