自分の中の廃棄物

15分に設定したアラームが、ピピピピピと鳴る。

 

私は目を開けて、テキストエディタを眺める。文字数は2957文字。大体1秒間に3文字くらい書いたことになる。原稿用紙にすると7枚半。

 

それは、あくまで文字であり、文章とはとても呼べない。ほとんど意味をなしていないし、誤字だらけだ。最低限でも、人間が読める文章を書くには、リソースが必要なんだなと思い知らされる。

 

そんな、汚物のようなものを、私は丁寧に読み直し解釈する。

 

 

週一回、ブログを書こうと決めた。そして、そこでは自分が書きたいことを書こうと決めた。そう、ここは自由の場であると、自分で決めた。

 

白紙のテキストエディタの前に座る自分に向かって言う。

「さぁ、ここでは自由に何でも書いていいよ。誰かに読ませるためじゃない、君が書きたいことを書けば良いんだ」

白紙のテキストエディタの前に座る、私は聞き返す。

「書きたいことって、何?」

 

文章を読むことは好きだ。面白い文章を書く人には憧れを抱く。そんな心動くような文章が自分の中にも眠っていると素敵だな、そう思った。

毎日、辛いことも楽しいこともある、色々なことを考え、色々な決断をする、そういった様々なことが塊となり、宝石のように結晶化し、自分の中にしまわれているんじゃないか、そう思っていた。

 

そして、そんなものは無いことを知った。

 

最近、良かったなと思うことは、諦め癖がついたことだなと思う。

じゃあ、自分の中に珠のような宝石を探すのは、やめよう。泥のような、腐敗臭がするものを取り出そう。その方が、自己認識に合う。

 

たまたま、読んだ本に丁度良い方法があった。「ノンストップライティング」と呼ばれる。

 

15分のタイマーを書け、ただひたすらに書く、読み返さない、何も考えない、ただひたすら書く。自分の中のリソースをただただ文章を吐き出すことだけに注ぐ方法らしい。

「さぁ、好きなものを書いてみな。あぁ、それはちょっと面白くないし、ありきたりだね」と言い出す検閲者を、追い払う。

 

 

15分というのは、とても長い。何も思いつかない、何も書けない、どうしたら書けるんだろう。

そう思ったら、そう書く。笑ってしまうくらいだ。

 

出来上がったものは理屈もない、理性もない、ただ言葉と誤字だけの廃棄物だ。綺麗な宝石でもなく、宝石の原石ですらないもの。

 

でも、なんとか生み出せる。だから、ちょっとうれしい。