親孝行をした日

父親は57歳になる。

先日、父親は食事の後、トイレに行き、突然下血をした。下血は一度では収まらず、救急車が到着するまでに6回もトイレにいかざるを得なかったという。
原因は大腸にできていたポリープが破裂したらしい。悪性ではないらしいが、そのまま一週間ほど入院した。

父親と自分の関係はとても普通だ。我が子として、頭を撫でたいと思う父親と、下に見られているようでそれが癪に障る息子。

父親との思い出で覚えていることはいくつかある。

小学生の頃、夕飯にネギが出た。父親は「ネギを食うと頭が良くなるぞ」と言ってネギを食べさせようとした。父親も本当にネギを食べて頭が良くなるとは思っていまい、好き嫌いをなくさせようという方便であったり、単純に出たものは食うべきという価値観だったかもしれない。私はネギは嫌いではなかったが、子どもだから適当を言って良いという価値観に妙に苛立ちを覚え、後日、ネットでネギを食って頭が良くなるわけではないという記事をいくつもリストアップして父親に渡した。そして怒られた。

そんな感じの間柄だった。


父親は毎日のように酒を飲む。
退院後に、LINEで酒はやめたのかを聞いてみた。父親は「酒をやめたら死ぬしかない」と答えた。「そうなんだ」と私は返した。
後日母親が言っていた。「酒を呑むことは行けないと思っているみたい、だけど不安で飲んじゃうみたい」


今のうちにやれることをやろうと思った。
生きている内に親に孝行をして、感謝を告げるべきであった。この手の話は私の知る世界(特に物語)では多い。こんな後悔を抱く自分を想像したら寒気がした。こういった、自分自信を美談の物語に引きずり込もうという発想はとても気持ちが悪いと思う。


親孝行の方法をいくつか考えた。
素直に感謝を告げるという方法、「今まで育てて頂いてありがとうございます。お陰様でここまでこれました」。とても気持ち悪いし、うちの家族は率直な感謝には、皮肉な言葉を返す家系ということが今までの経験で分かっていて、釈然としない結果に終わりそうだ。

では、何かプレゼントはどうだろうか。酒くらいしか思いつかない。なかなか洒落が効いているなと思ったが、洒落にしかならない。

それとなく、情報収集をしてみた。「退院してから、普段何しているの?」「最近はずっと株をやっている」

それを聞いて、一個思い当たる方法があった。家族は皆言う、「あんたはお父さん苦手かもしれないけど、あんたは凄いお父さんに似ているよ」と。結局、自分に問えば良いということだ。


日曜日、久々に実家に戻った。
久々に会った父親は少し痩せていた。痩せたね、と言ったら、お前もな、と言われた。

夕飯は家で焼肉だった。私はハラミを中心的に食べた。父親は血が足りないと言いながら、レバーばかり食べていた。
食事も済んだ辺りで、私は聞いた。

「最近、株してるんだっけ」
「あぁ、毎日見てる。結構勝ってるよ」

そうなんだ、と相槌を打ち、私は聞いた。「僕も興味あるんだけど、詳しく教えてくれない?」


27年も生きていると流石に気づく、自分の趣味やハマっていることを聞いてもらえるということは麻薬である。私たちはいつだって仲間を求めている。
また、年寄りは想像以上に孤独なものだ。時代は自分からはなれていき、周囲とも話題が合わない。

自分の趣味を真剣に聞いてくれること。
自分が歳を取ったときに何を求めるかと言ったら、これだろうなと思った。


この考えは間違っていなかったようだ。
父親はまだ食事中にもかかわらず、自分のiPadを取りに行き、私の隣の席にうつり話しだした。自分が今どの銘柄に興味があるか、次値上がる銘柄はどれか。弟には日本株は駄目だと言われたが、俺はいけると思う。ポートフォリオは。利率は。証券会社は。マザーズ。東証二部。PER。PBR。テクニカル。ゴールデンクロス。私は予想通りの豹変ぶりに笑ってしまった。

2時間くらいゆっくり話を聞いた。

「ありがとう。勉強になった。もう良い時間だから帰るわ」
「そうか……」
露骨に残念そうな顔をして、そうだそうだ、と言いながら、ノートを取り出し私に渡してきた。
「今まで話したことは、このノートにまとめているから、使ってくれ」と。

ノートを開くと、そこには日記が付けられていた。日付ごとの注目銘柄の値動きや考えなどが、細々と書かれていた。
「入院中暇だから書いていたんだが、俺はもう別のところに転機したから、それはやるよ」と。

私はありがとうと言って受け取り、カバンにしまった。

玄関で靴を履いていると、「またなー」と声がする。
私は「じゃあね」と声を返す。


家に帰って早速幾つかアドバイスの株を買い、買ったことを父親に報告する。父親からはLINEのスタンプが返ってくる。

有意義な日曜を過ごしたな、と私は満足する。