心が現れる場所

自分の心を正確に把握したいという欲求がある。

正確に把握するとはどういうことか。答えの一つとして、自分の心というモデルを構築することにある。このモデルには同じインプットを与える限り、必ず同じアウトプットが返ってくる。 このように一貫性や法則性がある形で表現可能な状態になること、それが把握することだと思う。 それを自分の心に対して行いたい欲求がある。

道は険しい。一歩も進んでいないとも思う。 自分の心というものは法則もなく、一貫性もなく、矛盾に満ち、安定していない。 私は自分の心というものが全く分からない。私はそれがとても悲しい。

一番身近な、27年間付き合ってきたものすら完全に把握できない。私の心は私をいつも挫折させ、敗北感を覚えさせる。

そのために、私は自分にあまり自信が持てない。この敗北感は、自分を大したこと無いつまらない人間だと思わさせられる。 私は私を明文化できない。文章にできず、語ることが出来ないものを私は認識できない。私は自分というものが把握できない、把握できないので、私とは何かが分からない。人に私を伝えられない。

物語を読むことは好きだ。 物語は心を動かされるから、面白い、楽しい、感動した。そこには私の心が垣間見える。私は物語に自分の心を見出そうとしている。

だから、私は色々な物に感情を動かされたい。面白いコンテンツにとどまらず、小難しい本や、仕事、古代の芸術などよくわからないものにも。 そして、果ては空の青さなど何でもないものにも。

いつか、天井のシミが自分の心に見えるようになりたいものだ。