休日の、前日。

仕事を終え、部屋に戻り、だらだらと意味があるようで特に意味のないただ日々の所作の中に取り込まれたあまり感情が動くわけでもない動作、いわゆる日課を終えると、スマートフォンが9時のアラームを告げ、あなたが8時間半の睡眠を取るにはもう布団に入るように準備を始めないと間に合わないですよと告げる。自分で設定したこととはいえ、口うるさい母親のように感じる。 平日だったら、いそいそと布団を広げ始めるところだが、今日は金曜日。明日は何の予定も無い、白い一面の銀世界。ただ、私は分かっているのはその銀世界が手に入るのはちゃんと早くおきた時だけなのだと、明日が何も無いということに甘え、だらだらと夜を過ごし、時計が頂点を回った辺りに寝ると、翌日手に入るのは重い体と回りすぎた時計。そう一面の銀世界も踏み荒らされ、雨と泥で茶色く変わる。 そのような愚を起こさないためにも、自分に対して、翌日はただの銀世界ではなく、色とりどり夢に溢れた希望の日であることを教えねばならない。早く寝ることは希望の日へのチケットであるということを理解させねばならぬのだ。

私は机の上に置いてあるメモ用紙を一枚切り出し、明日何をやろうかと書き出してみる。「1.掃除」「2.ゼルダ ブレスオブザ・ワイルド」「3.ブログを書く」まぁ悪くない、悪くないがこれではいつもと変わらぬ。自分を寝かしつけるには魅力が足りぬ。私はEvernoteを開き、その中の「やりたいことリスト」の項目を開く。毎日思いついたタイミングで書いているが、非効率かつ曖昧に生きている私はリストは積み重なるばかりでなかなか消費しきれない。毎週3つ消化して7個付け足されるような有様である。その私の負債とも呼ぶべきリストをダラダラと眺めると目に留まる。「夜は短し歩けよ乙女 映画」。

映画、映画か。もともとそんなに見る方ではなかったが、千葉に引っ越してからというものの一人の時間が長い、一人の時間が長いと人間というのは不思議なもので、無理やり自分の心に刺激を与えたいと思うものらしい。肉体の健康に運動と食事が必要なように、心の健康にも適度な運動が必要なのだろう。心の刺激にはコンテンツが最高だ(というかそれしか知らない)。本は毎日何となく読んでいるが、休日はまた別のものをというわけで、最近は映画をよく見るようになった。具体的に言うと、引っ越してから毎週見ている。先週はSING、その前は「LA LA LAND」、その前は「ひるね姫」、「SAO」「沈黙」と続いていく。こう思い出しても結構見ている。もしかして、これはもう趣味と呼称しても良いのではないだろうか。趣味ならば今週もまた見なければならない、私は何でもルーチンとして取り込んでしまう方が好きだ。それはわかりやすいから。見る理由、見たい理由をいち考えるのはしんどい。そう、これは私が毎週やっていることなのだよ、と言えば理由はいらない。楽なものだ。

夜は短し歩けよ乙女」は森見登美彦の小説だ。森見登美彦を初めて読んだのは「太陽の塔」で、大学受験の頃だった。大学受験時代は私は時間の大半を高校の図書室で過ごした。そこの司書は女の人で、気難しい人で、かなり痩せていた。心無い人は影でガリ子と呼んでいたことを覚えている(私は自分がどう呼んでいたかどうか覚えていないが、他人の身体的特徴を含んだあだ名は基本的に抵抗感がある)。私は受験勉強の息抜きに本をよく呼んでいたが、自分で選択をできるほど熱心ではなかったので、その司書にオススメを聞くということを繰り返していた。森見登美彦太陽の塔はその一冊であった。特別面白かったという記憶は無いが、特徴的な文体や、同時期に読んだ鴨川ホルモーなど京都を印象付ける作品であった。

夜は短し歩けよ乙女は大学に入ってから、新たに刊行された森見登美彦の小説ということで、本屋をウロウロとしていたら目に止まった。キャッチーなタイトルに印象的なイラストで懐かしさもあり、手にとった。 内容は可愛い女の子を思う冴えない先輩、色々あった末、その子となんかこう良い感じになるという話。主人公は外堀を埋め、本人だけの世界から出てこない葛藤のみと戦い、気づいたら女の子が手を伸ばしてくれるという気持ち悪い話の典型だ。この気持ち悪いという感覚は、絶対にありえないにも関わらず自分の中に願望として存在しているものをそう呼んでいる。シンデレラ症候群の男女が入れ替わったような話は世の中に多く存在する、夜は短し歩けよ乙女もその典型だ。 ただ、その気持ち悪さが絶妙に隠蔽されてあり、不思議な展開や古風な文体でごまかされているというところが、その気持ち悪さを上手く隠しており、下に載せたときの味わいは悪くない。つまり、楽しく読めた。

今は大学生活も終わり、結局起こらないはずのことは起こらない、というトートロジーを突きつけられ、今も静かに枯れ木のように生きている。

明日見る映画のよって、当時の気持ち悪い感覚が起これば幸いだ。