2017/08/19:新しくする

◆書き方を変えてみよう

日記に特定のフォーマットを持たせていた意図は2つあった。
一つは書く内容に困らないようにしたいということ、もう一つは自分が書きたいことがイマイチはっきりしないため、とりあえず内容問わず書けるようにしておきたいということ。
3か月くらい書いてみて、何となく書きたい内容も決まってきた。結局自分の思考を残すということが、当初の目的である。
残されたものに価値があるかは分からないが、記録を保全するという行為は善である。

 

◆「と思った」について

文章を書いていて、つい「と思った」というフレーズを使ってしまう。このニュアンスは「私はこう考えるが、これを正しいと表明するつもりはなく、別の意見を持つ人も当然想定される」というニュアンスを含む。

ただブログに文章を書いている以上、「と思った」とわざわざ入れずに断言しても情報量は特に変わらず、入れるだけノイズが増える。しばらくできる限り、「と思った」というのは入れずに、入れるとしても何らかの意図を持って使いたい。

 

◆実家に久々に戻った

年明け依頼だから一年ぶりだ。

ポーカーの大会が比較的近くでやっていたので寄ることにした。実家にはあまり戻らないが、どうして自分はあまり戻っていないのか分からなかった。

ただ、帰ってから気づいた。

実家には犬がいるが、単純に自分は犬アレルギーだった。涙と鼻水が止まらなくて辛い。実家ではずっとマスクをしている。これが嫌なことが一つの理由だ。

 

◆家族との会話

父親との会話はあまり成立しないので苦手だ。

母親と話すのは意外と面白い。

母親は個人塾を営んでいる。個人の受験相談に応ずることもあり、他所の受験とうちの体験した受験はだいぶ性質が異なることに気づく。

自分の現状と理想のギャップに苦しむという経験は受験生活で普通に発生するのだ。そこで自分の才能に限界を感じ挫折することも、自分の努力から自己肯定可能になることも、現状と自己認識の差異が克服されない人もいる。

上記の経験は自分にも降りかかると予想される。そのためにも、自分のやったことや成果・能力などを極力客観的指標として残したい。

自分の評価・判断などが自分の持つバイアスや希望などで歪められることを極端に恐れている。