2017/08/30:誰も幸せにならない
◆不運に慣れていく
ポーカーを初めて三ヶ月くらい経ったが、以前に比べて運が悪い機会が増えた。
私は大きく負けた時にはプレイを見直している。ただ、プレイを見直しても、確率的に正しいプレイだと判断でき、ただただ不運だと思う機会が増えた。以前はもっと運が良かったのに、最近は運良く勝つという展開が減った。
ポーカーはそもそも短期的には運に依存したゲームであるという大前提である。完璧なプレイをしても負けることはある。
そして、運に依存したゲームで、確率的に最適なプレイをした場合、発生するのは不運の負けのみではないか。負ける時は常に確率的に低いことを引くものである。
ゲームで真に気をつけるのは、自分の未熟さに気づけ無いことである。
つまり、真に恐るべきは、幸運の勝利である。
◆悩み相談
自分は他人の愚痴を聞くのが苦手だ。愚痴を言わないでくれとさえ思っている。
そういったこともあり、愚痴になりそうだと思った時に質問をすることにしている。
俺に何をして欲しいの?
1.解決策を求めているのか、ただ愚痴を言いたいだけか
2.正しいかを確認をしてほしいのか、味方が欲しいだけなのか
基本的にこの2つを聞くことにしている。
そして、多くの場合、人は嘘を言う。
本当はただ愚痴を言いたいだけなのに、解決策を求めていると発言するし、
自分が正しいと言って欲しいだけなのに、本当に正しいかを確認して欲しいと言う。
人は感情的な生き物なのに、論理的でありたいからこういう矛盾がある。
本音を言うことが恥ずかしいことや悪いことだと思っていて、建前と暗黙の了解でやっていこうとする。
ただ僕は建前というものが嫌いなので、解決策を知りたいと言われたら、こいつただ愚痴を言いたいだけだなと思いつつも、愚痴を切り捨てながら極力正論で返す。そして、相手は最終的にモヤッとした感じで話が終わる。本人の真の願いとは異なる結末にしかならないので、正しい姿である。
自分の気持ちには自分で責任を持てよ、という自分の意味のない自意識である。
そしてそこでは誰も幸せにはならない。