2017/09/20:おみやげが嫌いな話

AWS EC2

jp.techcrunch.com

これでより安く使える~。特に性能がメインで欲しい場合はより良さそう。
こういう料金体系まで柔軟に変えられるのすごいな~と思う。


◆お土産が嫌い

旅行に行ったときにお土産を買ったり、逆にお土産を貰うことが苦手です。

買いたくないし、買ってきて欲しく無いと思っています。

 

買いたくない理由も買ってきて欲しくない理由も結論は一緒ですが、単純に買う(買われる)理由がよくわからないというそれにつきます。

勿論、一般的な建前は理解しています。

自分が旅行で不在にしている間に周囲に負担をかけたことのお礼という意味と答える人が多いでしょう。でも、そういう人が病気で休んだことで何かを買ってきたというパターンは私の観測範囲ではそれほど多くはないように思います。迷惑の度合いで言うと、調整がつきにくい分突然の病気の方が負担は大きいです。別の考えとして、病気は不可抗力であり、旅行は私事を優先したという観点がありますが、例えば法事等で実家に戻った場合はお土産を買ってくる傾向にあります。

つまり、周囲に負担を書けたお礼というのは本当の目的ではなく、これはただの建前であり、結局どこか別の場所に行かないとお土産というイベントは発生しないことになります。

 

 そもそも、病気にしろ、法事にしろ、旅行にしろ制度の範囲内なら当然の権利であり、まぁ休みの日くらい好きに生きてくれと思っています。

 

また、お土産の目的が別に存在する場合も考えてみます。

 

例えば、海外の特別な場所にいったことを他人に話すため、その端緒としてお土産を用いるというのはそれなりに筋が通っています。

この場合のお土産の効果は、自分の話を聞いて貰う対価になります。そのやり方はそれなりに筋が通っているので良いと思いますが、受け取り手にほとんど拒否する手段がないにも関わらず、そういう形で持ち込むのは卑怯さを感じます。

 

結局、お土産は道理が不明か、卑怯な手段か、結局通例のみで意味もわからずしているのどれかに落ち着くのかな、というのが今のところの見解です。

そんな風に思うので、お土産は特に買わないし、買って来なくて良いなと思っています。

 

面倒くさい性格なので、こういう建前ベースで目的が不明な所作に違和感を覚えやすいです。お土産嫌いは結局その発露に過ぎないと思っています。

 

 

もう少し話を発展させると、お土産は確かに買う必要もない、買う側の純然たる好意に過ぎないというのは一つの事実です。こういうものを、今みたいに声高に否定すると、不快に感じる人は結構います。カウンターアタックとしては、『冷たい』とか『ひねくれてる』とかそういう人格攻撃が一般的かと思います。(個人的には、行動に対する批判より人格に対する批判の方がよっぽど質が悪いと思っていますが、そうでもないんですかね)

 

こういう他人の意見に不快感を覚えたときに意識するべきことが一つあると思っていて、その不快感は『自分が暗黙的に正しいと思っている』いわゆる偏見や常識、もしくは価値観に依拠することが多いです。

そういった偏見や常識は自分個人と強くはりついていることがあり、行為を否定されたにも関わらず自分自身を否定されたように受け取ってしまいがちです。

結果として、カウンターアタックが人格否定になりがちなのも、自分が人格否定をされた(と思い込んでいる)ことから目には目を歯には歯をと自然としてしまうのかなと理解しています。

 

別に偏見や常識は持っていて悪いわけじゃないですが、他人には別の偏見や常識があって、そこに差が存在していても何もおかしくないと思えれば良いと思っています。

 

僕は偏見や常識が割と歪みがち(当社比)で、よく他人との意見の相違や行動に対する批判が多いので、しょっちゅうイライラしたり不快になったりするんですが、まぁそうやって解消させてる感じです。