恋は光最終巻

恋は光最終巻

一巻からずっと追っていて、読み終わるたびに次はいつ出るのかな、とワクワクし続けていた生活も終わり。
大団円だったと思います。実際考えられるエンドにはいくつかあって、どれでもそれなりの納得感はあったでしょう。
それでも、このエンドになった理由を丁寧に説明してくれる心地よさはこの漫画ならではだと思います。

大好きな漫画なので、いつもより長く書きます。

あらすじ wikipediaより

この漫画は、大学を舞台にしたファンタジー恋愛漫画である。物語は「恋をしている女は光る」、「その光が俺には実際に見えているのだ」と、主人公の西条(さいじょう)が、友人の北代(きたしろ)に打ち明けるシーンから始まる。困惑しながらも真面目に相談に乗る北代は、西条だけに光が見える理由やその能力の使い道、何故今になって自分に打ち明けたのかを話し合った後、西条にアドバイスする。「きっとあれだ。センセ(西条)にキラキラしてくれる運命の女に出会うために、(光が)見えているんだと私は思うよ!」と。
そのすぐ後にある講義に出席した西条は、隣の席で本を読む女子、東雲(しののめ)に何を読んでいるのかとふと声をかけた。東雲は「バラ物語です」と答え、自分には共感を伴っての理解は難しく、好きではないというのが正直なところだと言葉を続ける。ではなんのために読んでいるのか?との西条の問いに、東雲はこう答えた。
「恋というものを、知りたくて」
憧れるような表情の東雲の言葉に、西条は思い出した。中学のころに、恋の光の存在と同時に、誰も自分に光を向けていないと知ったこと。それ以来恋愛から出来るだけ遠ざかってきたことを。そして西条は、この人が俺に恋をしてくれたらと思う。

テーマは恋。
恋というテーマは古今東西溢れていて、テーマ自体に新しさは無いです。
でも、何でこんな好きなんだろうなぁ、と考えると、「言葉にできないことの説明を諦めないところ」が好きなのかなぁと思いました。

恋というのはあくまで概念や感情の話であり、現実に存在するものではありません。
そのため、恋を理解できないや認知の不協和などを取り込んでいる作品は多くあります。ツンデレ(最近はもう何でもツンデレですが)も一種の自分の感情を理解できないという表現の一巻ですね。
恋はこのように自分の理性的な一面を飛び越えてくる、認知難しいものというのが一般的見解かと思います。

ただこの作品の恋はあくまで「光」という物質的なものです。光という物質と化すからこそ、光る時は恋、光らないので恋では無いとデジタルに判断が可能になります。結果、どういう時に光るのかという面から恋というものを語ろうとする方向に話が進みます。
つまり、恋が振り回されるものではなく、検証可能な物質作用の一つに過ぎなくなります。
ここはとても新鮮な恋の扱い方だなと思いました。

あらすじとしては、ヒロインの一人の北代は、西条に恋をしている(と本人は思っている)にも関わらず、西条からは「光っていない」と判じられます。 ここから、ではその光は本当は何なのか、恋とは何なのか、と話が進んでいく。 そのため、北代はもちろん自身の認識と異なるので、この光が恋では無い、という論を広げます。そうやって 登場人物は何とか 恋を「定義」しようとする方に物語が進んでいきます。

こういう普段なら魔法の「恋」が解体されていく感じがとても面白いと思っています。

最後は自分語りですが、齢27にして恋というものを理解していないが、とても素敵なもので羨ましいものである、という認識だけがある。
まさに登場人物の「恋というものが知りたくて」というのが染み入るのも理由の一つかと思います。