やりたいことがない
転職して三ヶ月が経った。最初はまた新しい環境で人間関係を作るのか、と少し萎えていたところもあったが、思ったほど心配はしなくて済みそうだった。
周囲の人も気さくでは無いが、共同体というものを感じさせない。言い方を変えると、集団生活という意識に乏しい人が多く、馴染むのはそんなに大変ではなかった。孤独は集団のなかで発生するという言葉が思いだされる。
仕事も前とは大きく変わったが、どうやら期待値は満たしているようだ。
人が少なすぎるというのもあるが、入ってそうそう新しいプロジェクトでは音頭を取ることになったりもしている。
私生活では、GWを活用してラスベガスに遊びに行ってきた。趣味のポーカーのためである。
現地に住んでいる知人が、ポーカープレイヤー向け安宿を知っているらしく、一週間で$100と破格で泊めてくれた。
当日も現地の有名カジノを色々案内してくれたり、現地でポーカーで生活をしている人たちから面白い話を聞いたり、自分も実際にプレイして$400くらい稼いでみたりした。
もう少し滞在期間が長ければ交通費・宿泊費含めてプラスにするのも、そんなに難しくはなさそうだった。
こうやって列挙してみると、順風満帆に見える。
だが、本当にこれで良いのか、わからなくなっている。
ここ4年くらい、人生これで良いのか分からんという問題意識があり、仕事について真面目に勉強していた。結果、転職して給与も上がり、資格もいくつか取り、そこそこ評価燃されつつあるような気がする。
ただ、内的な幸福にはあまり関係がなかったような気がする。
結局、多少何かができるようになっても、この世にはまだまだ高い山が存在するという当たり前の事実に気づかされるに終わった。どうしても目標とする地点を絶えず用意せざるを得ず、定期的に情報を得て追いついていかないような作業は、周囲や世間と常に比較する必要があり、いつまで経っても満足感は得られないようだ。
そこで内的な幸福を得るために、自分が心からやりたいと思うことに目を向けたいと思った。
驚いたことにそれが何も無いのである。
確かにポーカーやゲームは一つの選択肢だが、これもまた他人と競争があるという意味では仕事と変わらないような気がする。どっかで疲れてしまうだろう。
色々なことに手を出しているので、「多趣味でいいね」と言われることがある。
そう言われるたびに、楽しそうにやってるように見えるかもしれませんが、自分でもこれが楽しいのかどうか良く分からないんですよね、と心で答えている。