失敗を受け止める
東京オリンピックボランティアの話。
ニュース記事によると人が足りないので、やりがいをアピールしよう、みたいな感じになっているらしい。
この結論の愚かさはわざわざ誰が言うまでもなくわかるけど、その誰が言わなくてもわかるし、誰が言わなくても失敗するようなことが公になってしまうことがとても悲しい。
これを話した人も、まさか本当にやりがいPRが足りてないと考えたわけでもなかろう。もうそう言うしかなく、周りの人もやりがいをアピールしても虚無に響くだけと感じつつ、やりがいPRを頑張るのだろう。
なんだか、そういう虚無感のある世界がとても辛い。
そして、もっと怖いのはこういう絶対に失敗するしか無いだろう、と思っていることでも何だかんだ成功ということになってしまうことが怖い。
色々苦労もあったが、なんだかんだめでたしめでたし、みたいな。
失敗したことまで成功したことになるってすごく怖い。
要するにそこから何も学ぶ気は無くて気の持ちようで全てを過ごしてしまうことのように感じて。
前の会社でも炎上案件が最終的に皆頑張った、規模が大きいのでこういうこともある、みたいな形になっていてとても気持ち悪いと思った。
失敗は失敗としてちゃんと受け止めようよ、と思った。なんで、あの中で俺は成長したみたいな顔してるんだろうと思った。あれは成功体験ではなく、もう二度ときて欲しくない失敗体験じゃないのか。
気持ちの問題はわかる。
自分がこんなに苦労してやってきたことが失敗として処理されることが辛い。
自分が時間と力をかけて、アイデンティティになりかけてしまったことが、失敗という扱いを受けてしまうことは辛い。
すごいわかる。
すごいわかる・・・けど、さぁ、なんか違う気がするんだよ、そういうの。