自分について考えている
自分の定義について考えている。
例えば、私はボードゲームが好きなので、「ボードゲームが好きであること」を自分の定義としよう。
これが正しくないことは明らかだ。
私はボードゲームを嫌いになることもあるだろうし、疲れているなど条件によってはボードゲームをやりたくないこともある。
ボードゲームが好きであることは私の定義にならない。
これはボードゲームをその他に当てはめても、「好きであること」を「嫌いであること」など別の言葉に置き換えても定義にならない。この具体的な感情などを列挙することは限界がある。
次のアプローチとして、
「様々な条件(時間、環境、場所)をインプットすると、ボードゲームが好きという感情が発生すること」を私の定義ではないかと考える。
これは先程より近い気がする。
状況が変わればボードゲームが嫌いであることもあったりするし、好きであることも多い。そして状況的に好きなことが多いという意味では定義に近い。
ボードゲームが好きであることなどの具体的な感情をA、「様々な条件(situation)をインプットすると、ボードゲームが好きという感情が発生すること」をfとする、と以下のように書ける
f(situation) = A
大分自分に近くなった。
次に思うのは、fという考え方を抱くようになったことすら、様々な条件が重なったはずである。私が別の人生を歩んでいた場合、例えばボードゲームという存在すら認知できない場所に生まれた場合、同じ状況でもボードゲームを好きにならなかった可能性がある。これも様々なシチュエーションによって誕生しうる。
f'(situtation) = f
fという存在自体が、f'というメタ的なものによって生成されている。
(f'(situation))(situation) = A
が正しい構造となる。
より自分に近づいた気がする。
ここで次の疑問として、f'自体が特定の条件のもとに誕生した可能性がある。
というより、f'という存在を認めた時点でそれを生み出すf''というものの存在も認めねばならない。
(f''(situation))(situation)(situation) = A
ここで、この作業は無限に繰り返されることに気づく。
((......f'''''''....(situation).....)(situation) = A
つまり私とはf''''''''''''''''....(無限) ということになる。
この問題への理解はいくつか解釈の余地がある。
1) f'''''''はどこかで打ち切られ実はf''''''''''''''...'''''が真の自分であり、ここには一切の考慮が許されない
2) Aというものを定義した時点で何かが間違っている
3) 無限に後退し続ける構造こそが自分である
あたりまで考えて限界が来た。
直感的には今は3に近い。
そして、何を考えてもすべてはf'''''''''''''''''''''''を乗り越えられないのだ。