生きる理由を見つけて、人に優しくなれそうな気がした。

前回の日記の話の続き。

 

一晩くらいツラツラと考えを垂れ流した。

たまたま色々な人と会話する機会に恵まれたので、そのことを相談した。

 

「女の子ってそういうもんだよ」という意見をたくさんもらった。女の子という汎化には違和感があるものの、特殊な事例ではないらしい。自分が初めて遭遇したから、ビックリしただけのようだ。

 

なんで、そんなことになってしまうのか考えた。

もしかして、これが分からないところが自分のアスペルガー基質なところかもしれないと思った。つまり彼女が特殊なのではなく、自分が特殊な可能性について考えた。

 

言葉にすると明確な線引があるように誤解する可能性があるが、便宜上、定型発達という言葉を用いる。

彼女は定型発達で、自分が非定型発達という世界を想像する。

 

彼女は自分の意図というものを持っていない。場の空気というものを敏感に感じ取れ、そこに対して最善の行動を容易に取れる。状況に応じて使う言葉を意識しない。状況に応じて意見が異なることに違和感を感じない。

行動が環境や空気、場というものから生成されることに違和感を持っていない。

 

自分は空気から何かを察することができない。そのため、現在がこのような空気で、あなたは今どんな考えを持っているから、このような行動をすることが適切である、という考え方をする。社会があり、自分があり、そこに対する役割を自覚的に想像し、能動的に振る舞う。

行動が環境や空気を理解し、適切に振る舞う。その時必ず行動規範としての自分が存在するため、矛盾した行動を取ることができない。

 

彼女には意図というものがないので、行動の意図を問われると混乱する。意図を聞かれることと、行動を否定することの区別をすることが難しい。その選択は自動的に選ばれていて、理由などないからだ。

行動の意図を問われたときに、否定された、受け入れられていないという解釈に繋がりがちである。

 

一方、自分は行動の意図を聞くことは相手への親密さの表れである。私はあなたがその行動をどのような意図によって行っているかを知りたい、あなたという人を心から理解したいと思っている。そうすることで、あなたを傷つけないですむし、あなたが喜ぶ行動をすることができるので。

 

ここでコミュニケーションの極端な断絶が発生する。

善意のために考えて行動したことそのものが相手には否定にしか受け取れない。

相手は驚いて悲しくなる。私は相手が驚いて悲しんだことが理解できずに、何故悲しんだのかと追い打ちをかける。相手は悲しんだことを理解されていないと感じる。

 

そして、先日のような破綻が生じる。

 

どうやら考えていることを話すことは良くないのかもしれないと思った。

 

 

そんな話を友達にした。

友達は言った、「あなたのせいで自分も自分が今何を考えているかを考える機会が増えた。けど、自分が何を考えているかについて考えないほうが幸せだったと思う」。

 

それを聞いて、自分が良いと思ってしていることが良くないかもしれないという事例に連続で遭遇したなと思った。

どうやら相手に自分が考えていることについて考えさせることは傷つけたり、不幸せにしたり良くないことらしい。

 

ソクラテスが昔若者に問答を仕掛けることで、青少年に悪影響を与えたという理由で死刑になったという話が思い浮かんだ。

自分はたまたま生きているだけで、環境によっては存在自体が罪人になりうるのだと思ったらとても面白くなって笑ってしまった。

 

じゃあ、考えていることを話すということをやめてみようじゃないかと思った。

 

そのとき、自分が考えていることを話すことをやめようと考えたことを話そうとしていると思った。人には言えないのでツイッターに呟こうとしたが、それも結局は誰かに伝えたいだけだなと思った。

一生口をつぐむ姿を想像した。

 

それは何だかとても嫌で受け入れられないと思った。

 

僕は考えたことを話したい。それが誰かを傷つけて不幸にしてしまうかもしれなくても、それをやめることはとてもできないと思った。

 

つまり自分は自分の快楽のためだけに、自分の考えていることを話しているわけだが、それはもうどうしようもなかった。

話したいのだ。どうしようもなく。

 

人生生きていても死んでいても大差はないような気がしていた。ただ死んだら考えていることを話すことができないと思ったら、生きている方が良いような気がした。

 

自分は他人を傷つける可能性を考慮しながらも、快楽を求めてしまう。でも仕方ないじゃないか、したいんだから、と初めて思った。

 

初めて生きている理由がわかったような気がした。

 

 

僕の快楽のために彼女を傷つけることは何だか申し訳ないような気がした。僕には他にもたくさん僕の考えを聞いてくれる人がいるのだから、僕は彼女に対して思ったことを言わなくても良いような気がした。

 

彼女を傷つけずに済む方法を前向きに考えられそうな気がした。