なんでそこまで無思慮に人を傷つけられるのか分からない

本当に苛ついている。

苛つきすぎていて、いつもだったらTwitterで適当に「つら・・・死にたい・・・」と醸し出すだけで終わることが、より具体的に他者の目を汚す形になってしまう。Twitterなど好きに使えという話もあるが、何となくできない。

だから特に誰にも知られていないこのブログに書く。

 

今日は後輩の女の子を泣かせた。

 

個別具体の事象は面倒なので省くが、僕は人の心はわからないという前提のもとに疑問を投げた。

 

「君はAさんが喜んでいるって言ったけど、Aさんがどう感じるかはAさんにしか分からなくないかな?」

 

その言葉にとても傷ついたらしい。自分のことを疑われたと。自分の言っていることをこの人は信じようとしてくれないと。

 

 

最初は、なるほどそういう感じ方もあるのか、と思って謝った。ごめん、と。「でも僕がそう思っているのは事実であって、思っていることを伝えることを僕は良いことだと思っているので、何か悪意があって発言したわけではなく、価値観が異なってしまっただけで許して欲しい」、と。

 

でも、私はこんなに傷ついていると言われた。そして、僕の過去の発言をいくつか拾い上げ、この発言もこの発言も私のことを全く思いやろうとしない無配慮な発言であると言った。

 

私は最近チームのリーダーになったのだが、そこに対しても、「このように無配慮な発言をする人がリーダーをやっていては会社がこれから大きくなる上で駄目だと思う。もっと発言には配慮し、気をつけて欲しい」と言われた。

 

そう言われて、そのときはなるほどそういうもんかと思った。

そういう考え方も確かにあるかもしれないと思った。

 

その場はなんとかあやまり、とりあえず解散した。

仕事が手につかないので、仕事は適当なところで切り上げて、銭湯に入った。

サウナにはいったり、水風呂に入ったりしながら言われたことについてグルグルと考え続けていた。

 

「どうやったら上手くやっていけるかな?」とずっと考えていた。言葉をそのまま受け取ってしまうくらい繊細な子だから、いろいろ言葉に配慮したり、様々な態度で示したりするのが良いかもしれない。

彼女の一挙手一投足に目を配り、適切に褒め、彼女が自慢したいことを的確に理解し、彼女が傷つきそうなことを察し、言葉を紡ぐのをやめたりすればよいのかもしれない。

 

いくつか達成できそうなこともあったし、結構努力がいりそうだなと思うことはあった。来週からはいくつか実践してみてもいいかもしれないと思った。

 

風呂をあがって、帰り道で具体的なことについて考えていた。

 

 

何となく、帰り道で足が止まった。

 

自分はものすごく怒っているな、と思った。

何故自分がここまで言われなきゃいけないのか分からなかった。

分かったふりをしているだけで、自分は分かっていないということがわかった。僕は何故自分がここまで言われなければならないのか分からなかった。

 

まず悪意はなかった。悪意あって困らせるために疑問を投げつけるということは可能だが、この場合はそうではなかった。「人同士は本当に何を考えているかわからない」という前提に立って、そこから生じる当然の疑問を投げつけただけだ。そこに悪意はない。

 

悪意がないから許されるわけではないという話もある。悪意はなくとも人を傷つけたという事実は許されないのかもしれない。それは一理ある。悪意がないことは免罪符にはならない。

確かにそうかもしれない、と多分その時は思ったが、今回の件にまでそれが本当に適用されるべきなのだろうか。

僕は人が何を考えているのか分からなくて苦労していて、色々な経験を経て苦難の上に「人同士は何を考えているかわからない、だからこそ様々な内部状態を伝えることでどうにかこうにか上手くやっていこう」と色々頑張ってやっているつもりだった。

 

自分も苦悩していて、どうにかしたいな、と思っていることについて確認を投げただけでこんなに責められなきゃいけないのか。傷ついている人は他人の悩んでいることを一切無視して、お前に能力がないから私は傷ついているんだぞと言われ、僕の苦悩は一切無視されなきゃいけないのか。お前が傷ついていることは俺を傷つけて良い理由になるのか。お前の苦悩の全てを俺が理解し、俺の苦悩は一切誰にも理解されない状態で良いと言い張るのか。

 

そんな世界に賛同することってそんなに必要なのだろうか。

 

そう思ってしまった。

 

僕は皆幸せになって欲しいと思っていたし、そのために自分のできる努力はできる範囲内でやろうと思っていたし、多少の損を被るのも致し方無いと思っていたし、余裕があるからこそその余裕は人に分け与えても良いと思っていた。

 

それを一切無視して、お前が悪いと言ってくるこの人を俺は救わないといけないのか。

 

なんでそんなことになってしまったんだ。

 

と思ったら足が止まった。

 

 

 

自分は善人でありたかったけど、それは許されないんだなと思った。

人を嫌いにならないでいようと誓ったけど、それができると思うことは傲慢さに過ぎないんだなと思った。

自分が抱えていた理想はなんて空虚で意味がないんだろうと思った。

 

なんだかもうとてつもなく悲しかった。

 

 

なんでそこまで無思慮に人を傷つけられるのか分からない。

 

言われたセリフだ。僕もそう思う。