半出生主義というものを見た

半出生主義というものを見た時に自分は何を思うのだろうか。

 

「生まれて来ないほうが良かったか?」という問いを投げられた時に特に何も考えずに答えると、「分からん、どっちでも良い」と答える気がする。

まず、良い・悪いはある座標系における相対値だという印象を持つ。

例えば、苦痛の量のみに焦点を当てると、まぁ悪いと言えるかもしれない。

 

では、苦痛の量と快楽の量に焦点を当てると、苦痛の量と快楽の交換比率という新しい前提の導入が必要になり、それによって結論が異なると感じる。

 

そもそも、良い・悪いは前提の上での話である。では、その座標系自体が用意されなかった場合、「分からん」としか言いようがない。

人は自分の好きな座標系を勝手に採用していると感じている。だから、それが良いと思う人は良いし、悪いと思う人は悪いのだろう。自分は特に採用したい座標系がない(という座標系を採用している)ので、分からんという答えになる。

そこに対して、優劣や議論のようなものがどのくらい成立するのだろうか。

 

座標系のバリエーションを見ることは楽しいし重要な気はする。

この世とはたどり着けない真理の世界を眺める投影機のようなものである。