なぜ言葉が通じないのか
なぜ話はかみ合わないのかについて考えていた。
論理的に話したからといって話はかみ合わないと思う。
「AならばBである」という話をしたとする。
通常Aが事実である限り、話は通じるように見える。しかし、これに同意できない人がいる、それはなぜか。
AならばBであるとは「B=f(A)」ということである。
BはAをfを用いて射影した結果である。
このときにfが一定ならば問題ないが、f自体が別の前提に依存していると考えられる。
f=f'(C)
つまり「B=f'(C)(A)」であり、BはCとAの両方に同意する必要がある。
また、f'も当然新しい前提Dに依存している。
この構造は無限に繰り返される。
結果として、簡単な事象に対してすら完全な同意を取ることが難しくなる。
この同意のショートカットとして、常識や宗教が存在する。それ以上分割不可能な前提として扱われる。
しかし、今この世は常識や宗教を解体してしまった。
常識は場所によって異なるということになってしまい、宗教はまやかしだと教えられてしまった。
だからこそ、もう言葉は全然通じなくなってしまっている。
それは、とても悲しい。