振られるということ
今日彼女に振られました。
人生で振られるということは初めてなので、人生のランドマークという点で残したいという気持ちになりました。
彼女とは7月くらいに結婚相談所で出会い、8月くらいにお付き合いすることになり、何だかんだでクリスマス目前で振られたので大体4ヶ月程度のお付き合いになります。
自分は彼女に好意を抱いていましたが、最近の彼女の態度から徐々に気持ちは離れつつあるんだろうな、という予感をいだきつつの今日になります。
告げられたのはLINEの通話でした。
「一緒にいて居心地は良いが、友達のように感じてしまい彼氏や今後結婚するという姿をイメージすることができなかった」
そう言われました。
自分が相手に対してそのようなイメージを与えられていないというのは、割と気づいており、言われたときも「あぁやはりか」というある種の納得感がショックと共にありました。
別れは彼女も言いにくそうでした。それを告げられた私も「なるほど」以外あまり言えなかったように思います。ショックを感じており、悲しいという感情も伝えましたが、相手がそう思いそういう行動をとったことを尊重しており、同時に諦めていた気がします。そういうこともあるよね、と。
関係性自体を他者から否定されるというのは思ったよりダメージがあるのだな、というのが通話が終わったあとの最初の印象でした。
天井を眺め、最初に考えたのは何が悪かったのだろう、ということでした。
少なくとも自分は彼氏らしい態度は取れていなかった。最初に思ったのはそれでした。それは過去の経験の浅さもあり、相手に自分の意図を伝えるという苦手さもある、それらが合わさった未熟さでした。
そして、友達の何人かに、「振られてしまった」と告げました。
しばらくすると、その友人たちから「飲もうか」と誘われました。
私は何をしてよいのか分からず、とりあえずいつもの習慣でリングフィットアドベンチャーでスクワットをしていました。しかし、これはあまりに日常すぎる。意味がある日には意味性の高い行動を取りたいと思い、その誘いに乗ることにしました。
有楽町の高架下の居酒屋で友達2人と3人で飲みました。
自分の良かったこと、悪かったこと、次があればこうしていきたいということ。
話しているうちに自分は一体何にショックを受けているのかわからなくなってきました。振られたことなのか、上手くやれなかったことなのか。
私はどう感じるべきだったのでしょうか。
振られることとは自分の立ち位置の難しさを感じます。
何に悲しんでいるのかもよくわからなくなります。
自分は自尊心がきづついていて悲しんでいるのでしょうか、相手とうまくやれなかったことに悲しんでいるのでしょうか、それともただ無料の性欲のはけ口として相手を見ていて、その喪失に悲しんでいたのでしょうか。
自分の感情はこの世でとてもむずかしいものと感じています。
世界の事象はまぁ、そうなればそうなるだろうというある程度の範囲に収まります。しかし、自分の感情はそれ自体が根源としての性質を持ち、それに理由をつけるとどれも薄っぺらく不確かに感じます。
この不確かさが感情との向き合い方を難しくしている、そんな気がしています。