超越と実存「無常」をめぐる仏教史
読んだ。
自分の感じている感覚ととても近しい感覚が書かれていて、とてもおもしろかった。
仏教史は疎いので話の流れは知らないことが多すぎて体系的に頭に入ってくることはなかった。ただ著者のまえがきやあとがきで、記された問題意識が自分の抱えている問題意識にしっかり合致していた。
自分の抱えている問題意識は思想的に「確立した自己というもの」を認識することができず、同時に「多いなら存在の一部としての自己」という位置づけもしっくりこない。
結果として、自分とは何かということになんの答えも出せないというまさに実存的危機にある。
この本の著者がまさにそのどちらでもない、第三の選択肢としての仏教という位置づけを説明していた。
そこには自我という存在自体の虚構性(無常)を起点とするゴータマ・シッダールタの原初仏教の思想が色濃く反映された世界が書かれていた。
中身は全然わからなかったが、それでも作者の問題意識が自分の問題意識に合致した結果一気に読み終えてしまった。
次はこれを読もうと思う。
「あなたは迷うことと悩むことを楽しんでいる」
まだ「青春」の残光が足元に射していた頃、そう言われたことがある。
「そうか、楽しんでいるように見えるのか。なんだか割が合わないなあ」
口に出しては言わなかったが、その時はそう思った。
私の「リアル」が迷うことと悩むことの中にあると、それが他人には楽しんでいるように見えるわけか。
南直哉. 超越と実存「無常」をめぐる仏教史 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3129-3133). Kindle 版.
この感覚を持つ人が自分以外にもいたということ、それだけで自分には