結果で判断しようとしたときに起こること

人を評価する際に、具体的な数値や結果で評価して欲しいという話はある。 しかし、結果で評価した際にも評価者と被評価者で意見が合うことは難しい。

それについて考えたこと。

なぜ、結果で評価しようという話が出るのか。 1. 何を頑張れば良いのか具体的に教えて欲しい 2. 好き嫌いのような好みで評価されたくない(正しいことが存在して欲しい)

大体この2つのような気がする。

大きな抽象的なことを具体的な数値に落とした時点で必ず削減される次元が存在する。 この削減の程度が思ったより大きいことが認識相違になるのではないか。

考慮されていないもので思い当たるもの。

  1. 評価の数値を1:1で報酬とマッピングできない

評価は最終的に給与に反映されることが期待される。90点の人が30点の3倍の給与を与えるという制度は実現が難しいだろう。

また、評価はどうしても積分になる。今までずっと優秀だった人がたまたま不調だったときに、突然給料が1/3になるのは少なくとも従業員視点では長くいたい会社にはならない。

そのことから、数値で評価をしても結局最終のアウトプット(給与)の間に中間レイヤーが多数挟まるので、1:1対応とはいかない。 逆に数値が良いため社内評判は良くなっているが、給与に反映されない(ように感じる、本当は一定のディレイを持って行われる)ということが発生しそうである。

  1. 評価の数値の決め方を定義できない

例えば、数値で結果目標を定義して、届かなかったら0点、届いたら100点という制度が上手く行かないことは容易に想像できる。 1足りないことと、100足りないことの差異が吸収できない。

では、%で考えたらどうだろうか。達成率90%は90点、達成率30%は30点のような。

これは2つの点で問題になる。一つは達成の進捗が線形であるという前提があること。達成へのステップが階段上になっていた場合、本当に評価したい際以上のものが発生されることが想像される。

また、会社からは評価というのは本人の能力と相関することを期待される。 だが結果に本人の能力の寄与度は定義されていない、なので周囲はほとんどあの人のおかげだった、とかあの人は何もしてないのような暗黙のパラメータを導入し、この点数に対する彼の寄与度は40-80%のような曖昧な捉え方をすることになる。 このとき好意的な人は80%と見積もるし、批判的な人は40%として捉える。(具体的な数値がないので結局そうなる) これは当初の「好みで評価されたくない」というのが結局内包されてしまうことになる。

  1. 評価数値自体が確からしいかが状況によって変化する

本人の残した結果は本人の能力と相関が1.0ということはないだろう。例えばこの時期に飲食店の売上が上がらないときに、その店長の能力で何とかなる範囲は限られる。逆にこの中でも、ある程度被害を抑えたらそれは評価の対象になりうる。 おそらく、現在期初の目標のようなものはコロナの影響があり無実化している、そうすると目標は別に変わっていることになる(被害を抑える、コロナ後のために種を蒔くなどなど)ただ、そんなにリアルタイムに数値目標を立てることはできない。 結果、数値目標はあるが結果発表時点では信用できない数値目標が存在する。

数値目標を立てるのは方針がわかりやすく良いと思うが上のようなことは起こるよね、ということを評価者・被評価者が同意しないとうまく機能しない気はしている。