「Bは正しい」というとき、そこには論拠が必要となる。
つまり「Aなので、Bは正しい」になる。
この文章の正しさはAに対する論拠が正し差によって保証される。
「Cなので、Aであり、よってBは正しい」になる。
これを保証するには更にCに対する論拠Dが必要となる。このように正しさは無限後退していく。
この最後には「私がそう思うので、Xは正しい」のように、正しさを一手に引き受けている存在というものがある。
その正しさの引き受け手が紛れもなく自分であるし、
そうとしか考えられないという自覚を持つときに周囲からは「自己肯定感」という言葉を投げられるのかもしれないと思った。