婚活を通して幻想を解体する
「結婚興味なさそうなのに、なんで婚活なんかしてるんですか?」
仲がよく、歯に衣着せぬ物言い(褒めてる)人たちによく聞かれる。
今までは何となく適当に曖昧に流していた。適当に曖昧に流すというのは比較的簡単で、成立しない前提を置いて論を進めると大体そうなる。
成立しない前提とはつまり信じていない前提である。相手は疑念を呈しこそすれど、前提自体が成立しないことの論証は本質的に不可能なので、まぁそうなる。
そこまでしてちゃんとしたことを語らないのは、結局自分の中でもその正体は不明だったからである。
良くわからないことは語れない、自分の中では理屈や考えは「ある」ものではなく「発見」されるものである。「なんでこれをするんですか」の場合、「探しているところ」というのが適切な回答になることは多いがが、あんまりこの感覚は共有されることはない。
最近「日本婚活史思想序説」を読んだ。
古今の日本における婚活の隆盛と、その機序を解説した本でとても面白かった。
その中で、現代の婚活が条件や個人を商品とみたてた「マーケティング婚活」が一般的になっている。そして、マーケティング婚活とは巨大な妄想との対決であると言われていた。
妄想には「唯一幻想」「好条件幻想」「来訪幻想」「冬眠幻想」などと例が並べられていたが、要するに「白馬の王子様(お姫様)」がいるという妄想とどう向き合うか、という話である。
ここを読んでいてストンと腑に落ちることがあった。
つまり、自分は自分の中のこの幻想を上手く解体できておらず、その解体を求めて婚活をしている感覚があるな、ということ。
結婚をするというのは、本質的な目的ではなく解体の結果としての結婚を求めているような気がする。
「いや、白馬の王子様なんか物語だけでしょう」という言葉は正論で、「言葉では」それを理解している。一方、自分がそれを正しく内面化しているかというと甚だ疑問がある。人生において、様々なものが解体され、無意味と感じていく中、その側面はまだ残っている部分のような気がしている。
それを何となく感じていたため、対応策としての「マーケティング婚活」とも呼ばれる解体された世界を覗いてみたくなったような気がする。
こういう話を人にすると、「なんか簡単なことに難しい理由付けをするね」という話を言われるが、基本的に自分の行動が意図不明な場合にはあとから事後的に解釈する羽目になる。
解釈を挟むと、筋を通さないとならず、そうすると通常より深めに前提を置く必要がある。結果、「なんか簡単なことに難しい理由付けをする」羽目になる。
昔は難しい理由付けと揶揄されたときに、強く反論していたが最近は笑って流している。あんまり自分の行動が意図不明という感覚が無いと、この感じも伝わらないのかもしれないと思う。
この行動が意図不明という感覚も、思慮深いのようなニュアンスではなく、自分の発達の遅れという構造で認知している。結局、自分が何をしているのかずっとわからないまま流れるように生きてきたので、本来は15歳くらいで達成すべきことを達成できてないまま30近くまでやってしまったので、まぁ感覚的差異はあってしかるべきなのだろう。
つまり、この相手が分かってくれないという感覚は「大人は分かってない」という若者の言葉に親しい。
話を戻す。
問題の所在と目的もわかり、あとはまぁ経験による体得されるのだろう。
そう、そこには自分との対話が求められている。
なのでサウナに行く。