狐を笑ってよいのか。
この中の一節。
おそらく多くの人はハッピーピルを飲むべきではないと言うのではないだろうか。その理由を説明するのは難しいが、大事な点は、自分が望ましい状態にあると感じているだけでは、われわれは自分が幸福だとは思えないというところにあるように思う。
児玉聡. 功利主義入門 ──はじめての倫理学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1461-1464). Kindle 版.
ハッピーピルとはつまり「飲めば幸せになる薬」である。
「主観的幸福」と「客観的幸福」では客観的幸福が優先されるだろう、と著者は主張する。
私もこの意見には同意見であり、実際多くの人が客観的幸福を優先して行動しているように見える。
しかし、これをツイッターでアンケートをとると、結構な割合で主観的幸福に投票する人がいるのではないだろうか。例えば、ストロングゼロを飲めば嫌なことを全部忘れられて良い、という大喜利のような主張がされ、割とRTで回ってくる。
ハッピーピルはより完成されたストログゼロである、という考えで、これに同意する人がいる気がする。
その主観的幸福は本人の問題を超えたところで生成されたすっぱい葡萄から生まれるかもしれない。そこに対してどう考えれば良いのか良くわからない。