道徳のニューラルネットワークというアイデア

倫理学の本を読んでいた。

道徳は全然答えが出ておらず、決定的合意も発生しなそうという印象を持った。

 

 

道徳は主観的なものな気がするし、客観的なもののような気もする。

この主観性と客観性が同時に解決されるようなアイデアは無いかなと思ったが、ふとニューラルネットワーク構造が思いついた。

 

この世には道徳を出力するための大きなニューラルネットワークが存在し、人はそのニューラルネットワークの一つのニューロンとして存在しているというモデルだ。

私達は道徳を表現するための一つの役割を果たすが、最終的な道徳と呼ばれるものは個のニューロンの発火の集合なので近づくが同じにはならない。

この主観的な発火と総合結果としての客観的なものというものの共存するということで、道徳の主観性と客観性を説明できるような。

また脳の構造とのフラクタル性は何となく妥当性がありそうな気がする。

 

このとき、個の道徳決定はどうなされるかというと、ニューラルネットワークで決定された大きな道徳によってなされる。個は現実との不整合によって少しずつパラメータが調整されていく。そして老化されたニューロンが廃棄されたタイミングで、全体の道徳が大きく変更されたりもする。

 

この場合、「良い生き方」とは「ニューロンの果たすべき役割を果たすこと」、つまり周囲とネットワークを作り、出来事に正しく反応することなのかな、と思っている。自動での反応や周囲のインプットと無関係に反応すると良く無さそう。

この辺で、隣人愛などの概念など既存の道徳との関係性も論じられそう。

 

脳科学機械学習もそこまで詳しくないので、このアイデアがどのくらい妥当かを気が向いてみたときに調べてみようかと思う。