読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ニッカウヰスキー

「お誕生日おめでとう、これあげるよ」
彼はそう言って緑色の袋を私に手渡した。袋は口の部分はシールで閉じられており、真ん中にはバラの絵が書いてある。私は可愛い袋だなと思った。
「開けてもいいの?」
「良いけど、その前に聞かせてよ。プレゼントを他のもう一つ悩んだんだ。Amazonギフトカードにしようかとも思ったんだ。どっちが良かった?」
ちょっと考えてから、答える。
「それは、中を見ないとわからないかな」
「あぁ、具体的な物という視点で考えないでほしい。聞きたいのは、抽象的な物と、具体的な物体どっちが良いとかという観念的な質問をしたかっただけなんだ」
プレゼントを渡して、そのプレゼントについての感想を聞かないことに、私はちょっと笑ってしまう。


「そうだね、それなら僕は抽象的な物のほうが良いかな。例えば、本は実際の本より電子書籍の方が好きだし。ただ物体としてしか渡せない物っていうのはこの世にあるから、それを考えると難しいね」
「なるほど、そういうことなら、それは物体としてしか渡せないから、意味はあったかもね」

閉じられたシールの部分を切り、袋を開く。中には瓶が一本入っていた。瓶には茶色い液体が入っており、ラベルには「竹鶴」と書いてあった。ウィスキーだった。確かにこれは物体としてしか渡せない。
「ウィスキーあんまり飲まないって言ってたでしょ。僕は最近ウィスキー好きなんだよね、だから飲んで感想を聞こうと思って、それにしてみた」
私はクルクルと瓶を回しながらラベルを眺める。製造者はニッカウヰスキー

 

「ありがとう。こういう、渡す側の意思しか無いプレゼントって僕は好きだな。プレゼントって、相手のことを考えて渡すものという価値観があるじゃないか。あれは渡す時に難しいのは勿論、受け取る時も、受け取りにくくって苦手なんだよね。そういう苦手な態度を相手に見せてしまうことは悪いという感情も同時にある。だからこそ、余計に気を使ってしまって、いつしかプレゼントのやり取り自体苦手になったな」
だから、こういう独善的な渡す側が自分のことだけを考えているプレゼントは好きだ。それは、多分、疲れないから。

 

私がそう答えると、彼はまぁ君はそうかもねと言った。そして、その気持は分かるよ、と。だけどね。
「相手のことを考えてプレゼントを渡すとは、どういうことかと言うと、自分の中に受け取る側の性格をモデリングして、これを渡したらどんな反応するかな、とこれならどうかな、と何度も何度もシミュレーションすることだと、僕は思うんだ。そして、普通、人はそうやって他人の中に自分のモデルがあることを、好ましく思うんだ。だから、プレゼントにもそのモデルの存在を感じたがる。気持ちのこもったプレゼントっていうのはきっとそういうことだ。物に思いが入るんじゃない、相手の中に自分を見出すことなんだよ。それを嫌がるのは、重荷を感じるから?それとも、勝手に自分を決めつけられるのが嫌だから?」


彼は私の手の中にある茶色い瓶を掴むと、手の中で弄ぶ。
「ウィスキーは美味しいよ。水で割ってもいいし、ロックでも良いし、ストレートでもいい。何でもいいから、好きな飲み方を見つけてみたら」
茶色い液体はチャプチャプと波打つ。ウィスキーとは一体どんな味なんだろうか。

バカの戦略と、無能のハッタリ。

お兄ちゃん、久しぶり、誕生日おめでとう、元気だった?風邪ひいたんだって、修行僧じゃないんだからご飯ちゃんと食べたほうが良いよ、お母さんも心配するし。え、私?私は、今司法修習生やってるよ、弁護士先生の付き添いみたいな、仕事体験とも言うかも。まぁ色々悩みとかあるけど、人生そんなもんだよね。そうだね、ついでだから聞いてみるけど、教養ってどうやったら身につくと思う?

――教養?

そう、教養。例えば、歴史に関する一般的な知識だったり、漢字の読み書きだったり、ただの雑学だったり色々あるけど、そういう奴。知らなくても死なないけど、たまに絶望的に会話がかみ合わなかったり、話が弾まないことがある、アレだよ。今の指導弁護士と話が噛み合わなくて、バカだと思われているみたいなんだよね。まぁ実際バカなのは事実だからさ。

――司法試験に受かってまでバカってことは普通無いと思うけど。

いや、やっぱりバカだったと思うよ。小学校のとき学年は違うけど、お兄ちゃんと同じ塾に通ったこと覚えてる?お兄ちゃんは何もしなくても、一番上のクラスでトップクラスだったけど、私は入塾テストすら補欠合格だったからね。入塾テストなんて、普通受かるじゃない、そもそも落とすための試験ですら無いし、そこにギリギリって、なかなかのもんだと思うよ。 それでも司法試験に受かったのは、私がバカを極めたからだと思ってるよ。バカの道を極めるのって結構大変だよ。自分に一切の妥協を許さないし、プライドなんて折られてなんぼだからね。

弁護士になろうと思ってから、目標を立てて、毎日の勉強のスケジュールを立てて、そして何度も失敗してを繰り返していたから。あとは、他人に可愛がられることに本気を出したってのもあるね。私は、勉強のやり方なんてわからないからさ、頭いい人にニコニコしながら、教えてくださ~い、って、笑いながらお腹を見せて撫でてもらうの。 私って結構可愛いから、そんな子がニコニコしながら教えを請いて、そして真面目にこなしてるなんて皆教えたくなるよね。そうやって、私は色々な巨人の肩に乗せて貰いながら、ここまで来たんだよ。

でもさ、私って全てのリソースを司法試験に注ぎ込んだから、それ以外の知識がぽっこり抜け落ちているんだよね。お兄ちゃんとか適当に生きて、適当に勉強して、一杯遊んでいてもそこそこやれるから、いいじゃん。余ったリソースで、無駄なこととか、どうでもいいこととか色々覚えているじゃない、私、そういうの無いんだよね。

でも、自分はずっとそれでも良いと思ってたんだ。分からないことは教えてくださ~いって言って、巨人の肩に乗せて貰っていけば良いって。バカって個性なんだって。でも、どうやらもう通用しないみたいなんだよね。

今のところも、そういう姿勢でいたら、指導の弁護士先生に言われたんだ。「あなたは、もう先生と呼ばれる立場なんですよ」って。 それを言われてハッとしたんだ。担当のお客さんに対して、私は今、教える立場なんだって。求められているのは、お腹を向けてくる可愛らしいバカじゃなくて、優秀で頼りがいのある先生だったんだって。 そんなことって、人生で一度も無かったから、大変なんだ。お客さんと話していて、「えっ、それって何ですか?」って聞いたときの「え、こんなことも知らないの?」って顔、忘れられないよ。

だからね、お客さんにそういう顔をされないように、今まで備えなかった教養ってものを身に着けたいな、って思ってるんだよ。 教養なんて、私にはただのハッタリにしか見えないんだけど、今はそれを求められてるんだから頑張るよ。お兄ちゃん、得意でしょ、そういうはったり。

橋の下の猫ちゃん

この河川敷は大学時代にたまに走りに来ていた場所だった。今は昔走ったことのある道をダラダラと歩いていた。気温は低く、体は冷える。たまにランナーが私を追い抜いていく。 しばらく歩いていると、右手に付けたの活動量計がブルブルと震えた。走る時は左手に別の時計を付けるため、活動量計は右手に付けることにしている。右手に時計のようなものを付けている私を見て、変わった場所に時計を付けているねとたまに言う人もいる。私はいつも曖昧に笑って返すが、時計を左手に付けることが一般的になった理由を知らないし、興味が無いので変わらず右手につけている。

今日の歩数のノルマを達成したし、あの架橋の下までたどり着いたら引き返そう。 橋の下は日がかげり、一層寒さが増していた。橋を支える柱には張り紙が貼ってあった。そこには子どもの字でこう書いてあった。

――はしのしたにいた、ねこをかえしてください

ランドセルを背負った女の子がパタパタと走ってくる。ランドセルの中にはビニールで包まれた給食の残り。橋の下についた女の子は自分で付けた猫の名前を呼ぶ。その名を呼ぶと、猫はにゃんと泣いて草陰から顔を出す。女の子はランドセルから給食の残りを出し、それを交渉の材料に猫に撫でさせてもらう。それが日常だった。 ただ、今日は猫は出てこない。探しても見つからない。泣きそうになりながら、少女は思う。誰かが盗んだんだ。家に帰った少女は、お母さんに大きめの紙を貰い。文字を書き、セロハンテープを持って、橋の下に戻ってくる。そして、柱に精一杯背伸びをしてなるべく高い位置に、その紙を貼り付ける。はしのしたにいた、ねこをかえしてください。

そんな想像をした。

橋の下の猫は誰のものだろうか。その猫は野良猫だ。橋の下という場所は公共の場所だ。ならばそこに住む猫は、公共の所有物だろう。だから、いなくなっても、残念に思っても、怒りや増してや盗まれたという感情は湧かない。けど、この少女には間違いなく、その猫は自分のものだったのだろう。

じゃあ、もしかしたら彼女にとって、橋の下というのは彼女のための場所だったのかもしれない。 子どもは世界を僕と違う捉え方をしていることをことは多くある。特に自分と他人、自分のものと他人のものの区別が曖昧だな、と思うことはある。同時に、大人になってもこの感覚が曖昧な人を僕は未熟だなと思う。

赤ん坊は良く怒る。自分の保護者が自分の思ったように動かない。ご飯を食べたいと自分が思っているのにご飯を出さない、おむつを替えない、そして自分を愛さない。そうやって、他者と自分の境界を学んでいく。言葉を操れるようになり、他者とコミュニケーションをできても、この学習は続いていく。人と自分は違うのだと。そうやって、自分という範疇はどんどん小さくなっていく。

年を取るにつれ、挫折し、無力感を覚え、世界に対する自分の領域はどんどん小さくなっていく。そして、最後はいなくなる。 生まれた瞬間から死ぬまでに、時間が立つにつれて、自分という感覚はどんどん小さくなっていく。とても怖い感覚だ。 もしかしたら、愛とか恋とかってその恐怖心から生まれるのかな、と思った。

他者を自分に内在化し、相手が自分になっていく。そうやって自分の領域が増えていく。そんな感覚を求めるのだろうか。

少し強い風が吹き、肌寒さを感じる。おじいさんランナーが僕の後ろを通り過ぎていく。 猫ちゃん見つかると良いね。そして、僕はそこを後にした。

青い鳥と管理された生活

仕事を終えて、電車に乗った。金曜日の夜は電車がいつもより空いている気がする。きっと皆飲みに行ったりするのだろう。 いつもなら座れない座席に座り、何となくスマホを取り出す。これはただの習慣だ。いつもだったら、そこからホーム画面の青い鳥のアイコンをタップし、ダラダラとタイムラインを眺める。 ただ、青い鳥はもうそこには無い。新年にアンインストールした。私はスマホをポケットに仕舞い、代わりに本を取り出した。

最近、色々とやりたいことが増えてきた。とても良い傾向だなと思っている。ただ、その分時間が足りないとも同時に思った。 限られたリソースの中で、自分のやりたいことを達成するためには管理が必要だなと考えている。方法論は色々あると思うが、自分に慣れ親しんだ方法を用いようと思った。

私はボードゲームが好きだ。ボードゲームの種類の一つとして、ワーカープレイスメントゲームが存在する。 これは自分が労働者を雇い、労働者に特定の行動を取らせ、最終的な利益を獲得するということをテーマとしたゲームで、有名所としてアグリコラストーンエイジ、ナショナルエコノミーなどがある。 このタイプのゲームの勘所は最終的な目標に対して、労働者の行動の価値を最大化を意識すること。

今回労働者とは私自身となる、私自身を自分の達成したい目標に適切に割り振ることを意識する。 適切な割り振りに必要なのは、自分の所持しているリソースとどの程度のリソースを割り振ると目標が達成可能なのか、ということだ。 例えば、ボードゲームなら労働者3人、3人が3ターン働いて達成可能な目標なら、その目標のコストは9ということになる。

現実に置き換えると、私の持つリソースは24時間。ここから睡眠時間や労働時間や、過去の実績から遊びに行く頻度などを計算すると自分の一ヶ月の割当可能な時間が分かる。

目標達成のコストの計算は以下のように計算した。 新年にやりたいこと、今年中に達成したいことをリストアップしてエクセルにまとめてみた。大きく10個くらい、ランニングで年間1000km走る、Pythonを習得する、年間で40冊本を読む、株について勉強をするetc そのまま、やりたいこと一覧の横に1月から12月までのセルを作り、そこに各月ごとの達成目標を記載する。ランニングなら90km、Pythonなら現在読んでいる本の読了、読書は4冊……。 そこから、項目の達成に必要な時間を見積もる。ランニング90kmなら1回8kmとして、月12回。一回に準備を含めたら1時間くらい。 読書なら本が一冊300ページとすると、月に1200ページ。文庫本なら大体1ページを30秒、重い本で1分くらいで読むので、平均45秒とすると、54000秒かかる。15時間。 他の項目についても月にかかる時間を見積もる。 見積もった数字には見積もり誤差として50%を上乗せする。これは実際に行うと、想定時間の1.5倍にまで膨らむということ。経験則で付加している。

これで、各目標の達成に必要な時間が計算できた。

自分の割当可能時間と目標達成に必要な時間を比較すると、何とかこなせなくはないように見えた。 しかし、これはあくまで見積もりで不確定な要素は大量にある。バッファは必要だ。適当な数値だが、自由時間の40%~50%くらいの時間で達成できるのが望ましいと思った。

ここまで計算した中で、変更可能な数値と変更不可能な数値を検討する。基本的に計画段階でかかるコストを変更しようとすると、実際の運用時に上手くいかない、変更が必要なのは目標値であることがほとんどだ。例えば、本を読む量は変更可能だが、本を読む速度は変更不可能だ。

では、目標値を下げずに達成に近づけたい場合に取れる行動は何か。

ここでもボードゲームに対する考え方のフレームワークを利用する。ボードゲームでは盤面に応じた最適手を検討する際にどう考えるか。 一番大事なのは、何が最も良いかを考えずに、「何が最も悪いか」を考えることだ。最適手の検討は複雑だが、最悪手の検討は明確であることが多い。それは何故かというと、完全な最適手はゲームバランスを崩壊させる(安定行動しか存在しないものは最早ゲームになっていない)が、最悪手はゲームバランスに影響を与えないため(いくつかの選択肢が利用不可でもゲームの面白さへの影響は少ない)。 つまり、必要なことではなく不要なものを考える。

私の中でそれが今回のTwitterだった。あの青い鳥は私から無限の時間を奪い取る。青い鳥は幸せの象徴ではなく、追い求める無駄な時間だったというわけだ。

私の乗った電車が私の最寄り駅に着く。時間として、45分。ページ数で70ページを読んでいた。 私はそのまま家に帰り、部屋につくとスリープ状態のPCを復帰させ、エクセルを立ち上げる。そ こに読んだページ数と経過時間を記録して、今日もまたちゃんとこなしたな、と満足するのである。

怒りの取り扱い方

怒りの取り扱い方の話をしようと思う。

「年末、ボードゲームで遊びましょう」と誘われた。平均月に1回くらいの頻度で私たちは集まってボードゲームをしている。 ボードゲームは元々私の趣味で、最初は私から友人数人に声をかけていた。ただ、私は寮住まいの関係上、遊ぶ場所を提供できない。だから、一人暮らしの奴の家に私がボードゲームを持っていき、その場で遊ぶというのが恒例となった。今回もその一環だった。

「何を持っていけばいい?」と私は聞いた。 ボードゲームには様々な種類があるが、大きく分けると2つある。運要素が強くパーティゲームとして楽しめるものと、高い戦略性を必要とするゲーム性が高いもの。私たちはどちらかと言うと戦略性が高いゲームを好むので、聞いた段階で頭のなかでいくつか候補があった。

「そうですね、宝石の煌めきとアグリコラと、あとミステリアムを持ってきて欲しいです」彼は言った。

これを聞いて、私は軽い怒りを覚えた。何故だろうか。

そこからの会話はこう続く。

「ミステリアムって、もしかしてそのまま借りたい?」私は聞いた。

「あぁそうですね、できたらお願いしたいです」

「あぁ、まぁいいよ」

後半の会話は私が自分の怒りを適切に取り扱うために必要なものだった。

この流れを元に、自分の怒りと、その扱い方について話をしたい。

まず、怒りの原因を話そう。(ここで言う怒りとは内心のイライラ程度で、声を荒げたり、不快感を表明することとは別に扱う。)

結論を言うと、彼の挙げたボードゲームから、別の目的が分かってしまった。そして、それを達成するために払われるコストを無視しようとする態度に対して腹が立ったのだ。

宝石の煌めきとアグリコラはかなりゲーム要素が強く、今まで何度も遊んだ。今回持ってきて欲しいと言われたことも分かる。

問題はミステリアムの方だ。これはパーティ要素が高く、私たちは普段あまり遊ばない。つまり今回持ってくるゲームとして挙げるのは不自然だった。 あえて、彼がこれを挙げた理由は何だろうか。

そこには理由があった。 以前一緒にご飯を食べた時に、彼は言っていた。「年始に地元の友人が遊びに来る、ボードゲームとかをやりたい。ミステリアムとか初心者でも楽しめていいですよね」と。彼はミステリアムを持っていないので、おそらく私から借りようとしているんだな、とは思ったが、この時は明確に借りる意思を示さなかった。

つまり、彼は「遊ぶついでにそのまま借りていこうとしていた」

これに対して、彼は払うべき対価を正当に払わずに踏み倒そうとしたと私は考えている。 人から物を借りるという行為は、相手に負担を強いる行為だ。それは具体的な物品がしばらく手元から離れるということ以外にも、返ってくるまでの賃借の管理を行うコストや貸し借りを行うための物品の輸送コストなどがある。これらのコストは借りる側としては普通利子として発生する。 この管理や輸送のコストは、友達だから、という理由で”なぁなぁ”にされることが殆どだ。つまり、友人関係では物を貸す時に利息やレンタル料を取らないことは一般的だ。

ただ、ここを”なぁなぁ”にして無視しているのは貸す側の好意であり、借りる側から無視することは許されない。 だから貸し借りには正当に「貸してください」「いいですよ」というやり取りが行われ、貸す側が細かい部分については友人なので目をつぶりますと内心了承する、という暗黙のプロセスを経る必要がある。

今回、私が怒りを覚えたのは、この暗黙のプロセスを無視したところである。

本来は「貸してください」「いいですよ」というやり取りの後から行われる、物品運搬という貸すためのコストを、ボードゲームで遊ぶという別の目的に便乗しチャラにしてしまおうとしていた。そのことに私は怒っているのだ。

誤解を招かないように言うと、私は貸したくないと言いたいわけではない。私はどちらかというと気前よく貸す方だ。ただし、それは上記の「貸してください」「いいですよ」という正当なプロセスに則った上での話だ。私は運搬のコストを自分から払うことはためらわないが、そのコストが搾取されることには敏感だ。

だから、怒った。 彼は本来払うべきコストを別の目的に合わせることで払わずに済ませようとしている。「ついでだし、いいでしょう」ということだ。

ここまでが、私が怒った理由だ。

ここからは、私がこの怒りに対して、どう向き合うべきかという話だ。

まず、大きな前提として、彼は悪くないというところから始まる。 明示的に相手を悪と判ずることができるのは、公にされたルールから逸脱した時に、そのルールから逸脱したということを双方が同意した時に行える。ここで重要なのは、双方が同意することである。何故なら、ルール自体に問題があるパターンがあるからだ。相手が俺は悪くない、と主張する間は悪くなく、ルールの検証を行う必要があるのだ。 では、今回はどうだろうか貸し借りに関する考えは、私と彼で意思統一やルールがあった。今まで書いた貸し借りに関する考え方は私のものでしかない。彼にはきっと違う考え方がある。彼の中では「遊ぶついでに持ってきてもらおう、その方が手間もかからないし」というのは自然な考えだったと予想される。

方の同意が無いので”彼は悪くない”。

そして、悪くないことに対して怒りを表明すると、怒る側が悪いことになる。会話や人間関係の上で無闇に怒りを放ってはならないというのはルールだと思っている。怒るとこのルールから逸脱するので、”悪い”。

では、私はこの怒りをどう扱えば良いか。それは自分が怒りを覚えない形に状況を変えてしまえばよい。 そこで、私は怒らずに、自分の中の搾取されたくない、という感情を満たすために、事前に貸し借りについて了承を付けて、輸送その他のコストについてはこちら側が払いますという暗黙のプロセスを経ることにして、怒りを昇華した。「借りたい?」から「あぁ、うん、まぁいいよ」がそれに当たる。

私は自分の中の怒りについてはこのように向き合った。

自分の人間性の話をする。 「怒ったところ見たこと無いし、本当に怒ったこと無いでしょ」と言われたことがある。 勿論そんなことはなく、怒りを分解して昇華させ、結果として外に出ていないだけだと思っている。 このプロセスを自怒りの防波堤と呼んでいる。この防波堤は比較的有能だが、利用にはコストがかかる。 自分が何に怒っているかを分解し、それに対し怒らないような形に状況や態度を変化させていく必要があるためだ。 自分に気を使っている、とも言える。自分に気を使うために支払われるコストは体力だ。 睡眠不足や体調不良時には、このコストが足らず防波堤が効かないことがある(勿論声を荒げたりはしないが、無愛想になる。元々愛想が良い方ではないし、まぁ疲れてるしね、という扱いになる)

怒ったり心がざわついて良いことは、精神衛生上良くない。 健全な精神は健全な肉体に宿るというのはあながち間違いではないのだろう。

みみっちい奴だな、このくらい広い心で受け止めろよ、と内生的な自分が話しかけてくる。 でも、私はみみっちい奴なのだ、それは身長のようにサイズを広げることは難しい。だから仕方なく私はスペースを空けるために、心の整理整頓を続ける必要があるのだ。 こういう怒りの昇華作業も、その整理整頓の一環だと思っている。

同意を汲み上げる

最初は効果が月3000円の支払いが嫌だなと思った。効果が不明なものに年間で3万弱、5年で20万は看過できない。

労働組合の話だ。 その後色々とルールや制度、月々の成果を見て私は3000円に見合うメリットを享受していないと思った。

辞める手続きを事務局に依頼したところ、労働組合専任の担当者に呼び出されて撤回するよう説得された。 そこで言われたことを要約するとこうだ。 「確かに抜けても君個人としては問題がないし、加入は義務ではない。しかし、全員が抜けた時に大きな問題になる。だから抜けないでくれ」

それを聞いて、あぁ、これはNHKの受信料と同じなのかと思った。

労働組合の必要性は理解している。しかし、私自身は効果を感じられないし、労働組合の活動にも不満がある。でも全員が抜けると崩壊するから、抜けない力学が働く。

国営放送の必要性は理解している。しかし、私はNHKを見ないし、NHKにも不満がある。しかし、何故か受信料を要求される。

おんなじだ。全体の目的として必要なものに、民主制を保たせようと一旦個に判断を委ねたような、見せかけの手続きを踏む。 だからこれは必要なもので、皆の同意の上で行われているんだよ、あなたもそう思っているんでしょ?という形式を作る。知らないうちに同意させられたことになっている。

そうやって私の同意を無意識のうちに汲み上げようとしていたんだ、と思った。そして、それは邪悪だな、とも思った。

でも、結局私は労働組合を抜けずにまだ毎月3000円を支払っている。 まだ、会社を離れて行きていけない、弱い自分に自覚的になろうと。同意を搾取されている構造に自覚的になろうと。 搾取されないで済むくらい強くなるまで、払おうと思っている。

灯台の道標

森田には、「トイレには行けないから絶対に今のうちに行っておいてくれ」と言われていた。

通された部屋は大学の講義室くらいの広さがあり、一番前にはスクリーンがあり、何人かの人々が発表の準備をしていた。そこから部屋の後ろ側に向かって、4人がけの机が4列に並べられていた。聞いていた開始時間よりは20分ほど早かったが、既にその席は7割ほど埋まっており、合計200人ほどの人が既に着席していた。 想像より大規模で私は驚いた。「すごいね」と森田に言うと、森田は「だろ?」と誇らしげだった。私たちは空いている席を見つけ、並んで座った。

昨晩、「旅行って興味ある?」と森田が声をかけてきた。どうやら旅行に安く行くプランがある、会員になると年々の旅行を安く行くことができる、年に2回くらい旅行に行けば割引でトントンになり、更に普通よりグレードが高いところに泊まれる、ちょっとでも興味があるなら明日説明会があるから是非来てくれ、と誘われた。その流れの早さと、多少の強引さに気圧されながらも、基本的に誘われたら行く方針の私はやってきたわけである。

座って周りを眺めると、人の多さもさることながら驚いたのは周囲の面々である。簡潔に言うと、とても可愛い子が多い。なんだか凄いところに来てしまったような気がするな、と思った。 どうやら他のテーブルも私のように、誘った側と誘われた側のペアのようでヒソヒソとおしゃべりをしているところが多い。知らない人が多いけども、味方も確実に存在する状況。その状況は一抹の恐怖感以上に全体として高揚を生み出しているように感じられた。

12時になる。もうすぐ始まる、そういえばご飯を食べていないことを思い出した。

プレゼンターは話がとてもうまかった。私達の扱う旅行商材が何故安く行けるのか、いかにお得なのかと言った素直なプレゼンから、聞き手の空気を察し、適度な笑いも含ませる、そしてこちらの注目をひきつける絶妙な間。会場の雰囲気はドンドンと高揚していく。そして20分程のプレゼンを終えたときは会場から一斉に拍手が起こった。アンコールでもしてやりたい気分だ。

会場が十分に盛り上がったことを確認したプレゼンターは 「では、ここからは会員制度のお話をさせて頂きます。では、説明担当を変わりますね」と言った。

現れたプレゼンターは恰幅がよく、人当たりが良さそうなおじさんだった。 そのおじさんはドンドンと話していく。

おじさんの話はとても長かった。そして同じことを様々な表現で熱意を持って語る。何度も、何度も。熱を持って。30分、1時間、1時間半と時は過ぎる。 会場の熱は冷めやらない。私はお腹が空いてきた。そして、休憩もなく続く話に、とても疲れてきていた。

おじさんの話はつまり、こうだ。

あなたが新たな会員を誘うと、2人ごとに月々3500円のお金が入る。 そしてその誘った人が、別の人を誘うとその人に対してもあなたに報酬が入る。 会員はドンドン増えていっている、今入るのが一番お得だ。 入会には最初に10万円と月々1万2千円がかかる。なに、8人誘えばもとが取れる。そこからはただただお金が増えるだけだ。 そう、あなたの幸せはここにある、あなたたちは運が良い。こうやって幸せになるチャンスに巡り会えた。

そう言っていた、と思う。これってマルチ商法じゃないか、ということも気づいていた。

2時間の話が終わり。おじさんは「では、ここからは個別質疑応答にいたしましょう」と言った。 すると、各テーブルに対してスタッフが椅子を持って近づいてきた。私達のテーブルにも一人の爽やかな青年がやってきた。

「初めまして、先ほどの説明だけじゃ分からないと思うから説明しますね。何か分からないことはありますか?」

わからないこと、何も分からなかった。ご飯が食べたかった。ただ私は相手の気を悪くさせないように言葉を選ぶ。8人も誘うって大変じゃないですか?10万円ってやっぱり高いと思うんですけど。ドンドン会員が増えていったら旅行の予約を取るのも大変ですよね。

1質問をすると10返答が来る。これが延々と続く。終わりのない螺旋階段を降りている気分だった。

これって、マルチ商法ですよね、とも言ってみた。 「でも、マルチ自体は違法じゃないんだ、悪い印象があるだけでそれはそこが特別悪質なだけなんだよ、私達のところは……」

そんなことは知っている。本当はそんなことが聞きたいわけじゃなかった。マルチの善悪なんか興味はない。何故私は食事を摂ることもできずに、こんな説明を受けているのかが分からなかった。そんな冷静なことが考えられていたのも最初だけだった。 1時間も経つと、いつしか私は入らない理由を彼らに問い続け、そしてそれを否定され続けるようになっていた。いや、だって、でも……そんな言葉が増えていった。

そして、これもまた2時間近く続いた。もう私は限界だった。何も考えることができなかった。

長い長い質疑応答が終わると、アンケート用紙が配られてきた。 そこには簡単なプロフィールと共に、このような設問があった。

「あなたは入会しますか?」 はい/いいえ/検討中

私は悩んだ末に、検討中に○をした。

次の設問、「あなたが入るかを悩んでいる理由は何ですか?」。お金の理由、友達を誘う自身がない、旅行に行く予定がないなどいくつかの設問が並んでいた。 私は思いつくものに○をして、次に進む。

「その入らない理由が無くなったときに、あなたは入会しますか?」はい/いいえ

はい/いいえ

私はそこに印を付けることができなかった。もう考えたくなかった。私は大きくはい/いいえ両方に○をして、森田に見られないようにアンケート用紙を近くのスタッフに渡した。

森田が「どうすることにした?」と聞いてきた。 「検討中」と答えると、「ふーん、そうか。まぁよく考えろよ」と言われた。

どうやら入会します、に「はい」をつけるとそのまま入会書が配られるらしい。そこで私はまた愕然とする。 みんな書いているのだ。そう、みんな。前に座っている髪の長い子も。右に座っているいかつい兄さんも。左も、後ろも。みんな。 10万円の支払いと月々1万円を超える支払いを許可しているのだ。みんなが何を考えているのか私には全然分からなかった。 書いている人は頭を下げている。多くの人が少し頭を低くしているのは凪いだ海のようだった。私は暗い海にポツンと放り出されていた。ただ僅かだが、私と同じように頭を上げている人たちがいた。他より少し高いその姿は暗い海の灯台のようだった。

その灯台は間違いなく私の道標だった。

「では、これで説明会を終わります」

司会者がそう言って、私はやっと終わった、とただただホッとした。空腹はもう限界だった。 森田に「このあと懇親会があるけど、出るってことでいいよな」と聞かれた。有無を言わさぬ感じで。

空腹は確かに限界だった、美味しいものも出るのだろう。

私は灯台の道標に従うことにした。 「いや、悪いけど今日はやることがあるから帰らせてくれ」 「あー、そうか。ちょっとでも興味があるなら出といた方が良いぜ?いや、勿論無理にとは言わないが」

無理にとは言わないが、と繰り返しながら誘う森田に、悪いけど悪いけどと繰り返しながら部屋を出た。

森田は別れ際に最後にいった。

「今日のことは自分の頭で考えてくれ。誰かに言われて考えを改めるのは、俺は違うと思うから」

外はとても寒かった。お腹も空いていた。

そして、私はトイレに行きたくなった。 思考だけではなく、尿意まで奪われていたことを思い出した。