何が嫌いかを語る

頑張って生きております。

8月 -> 11月は仕事が佳境を迎えており、ゴタゴタしてました。プロジェクトで本来自分の責任範囲ではないところに無理やり首を突っ込んで、全部巻き取って何とかしてました。

こういうと凄腕エンジニアっぽくて格好良いですが、中身は今まで気づいてきた関係性をベースに経験のある人に色々時間を取って教えて貰ったり、情報を持ってる関係者に繋いでもらったりとただただ泥臭さがあり、その泥臭さに耐えられるようにはなったのは結構成長したなと振り返って思います。

 

なにか大きく努力したり、力を注ぐと持つ価値観というのに少なからず変化を与えます。それだけ時間をかけ、しかも成功体験もあると変わるものです。

 

一番は「社内評論家を信用するな」というインターネットによくある話でした。「こうだからうまく行かない」とか「こうしたらうまくいく」と言いながら、それが成立するように行動を取っていない人は信用できないという思いでした、というかこっちは泥臭く無理を通してやってるのに、やりもしないやつに色々言われるとイラつくという感情の問題ですが。

 

こういう仕事のような社会的なことにコミットして、それに関することで内心腹を立てるという自分も好きではないですが、それをあざ笑って社会的行事に参加しない自分というのもまた好きではないので、自分というのは難しいですね。というか、こういう矛盾した側面を持ち続けているので自分というのがあまり好きではないのですが、矛盾した側面を無視しているのもまた好きではないので。結局すべてを嫌いながら固定せずたゆたい続け即時的に判断し続け、全てを嫌い続けるのもまた人生かと思います。こういう考えは結構好きです。何かが決まることというのが一番嫌いなんだと思います。