友達に順位を付けるとしたら
先週、今週と昔の知人に会ってきました。
どちらも環境が変わってからも定期的に会う親しい友人とも言うべき間柄です。
とても楽しい時間を過ごしました。
あまり友人が多い方ではないのですが、20数年も生きていると歴史は積み重なるもので、明確に友人と言えるもの、友人なのかよくわからん知人と色々な人が自分の歴史には存在します。
その中で、自分の中に友人とそれ以外はどのように考えるべきなのかなと、ふと思いました。
友人に線を引き、分類することに意味はなく、万人皆友人がごとく過ごせることはとても素晴らしいと思います。 一方、例えば、結婚式に人を呼ぶ、という場合にはある程度の取捨選択が必要だと思います。 その際に、人は何らかの判断基準を元に呼んだり、呼ばなかったりを決めているのかなと。 すると、親密度という基準を自分の中にある程度設けているのでしょう。
友達順位
友達順位はもしかしたらこんな風に付けられるのかもしれません。
友達値 = Σ(<友達要素> * 重み) この友達値を降順でソートすると、友達の順位が出てくるような気がします。
自分が相手を友達だと思う要素には複数あり、人ごとにその重視するものは違うので、<友達要素>に重みをかけるのが良いかと思いました。
友達要素の例としてはこんなものが考えられます。
などなどですかね。 友達要素はなるべく定量的な値が良い気がします。 自分の気持ちは各要素にかけたの重みで判定します。
実際に作ってみるとしたら以下の流れになると思っています。
友達順位を作ってみる流れ
- 縦軸に思いつく限りの友達を列挙する
- 横軸に友達要素だと思われるものを列挙する
- 縦軸・横軸の交差する点に値を入れていく
- 各横軸ごとに重みを設定する。
- 友達値が出るので、このポイントでソートする。
- 順位に違和感がある場合、重みが不適切・もしくは要素に不足があると思われるので、どちらかを調整する。
- 5.6.を繰り返す
イメージこんな感じで考えています。 自分の価値観の見直しになったり、友達値を上げたいために昔の友人に連絡を取ってみる契機になるなど、 面白い効果がありそうな気がしています。
「どんな仕事をしているのですか?」に対する返答について考えたこと
話の前の余談
文体が安定しないのはしっくりくる書き方を模索中だからです。
テーマ
新たに新人が部署に来た。相手をする中で「普段どんな仕事をしているのですか?」と聞かれた。 その質問に対して、私の返答とその反省について述べる。
背景
社会人として就職後、「どんな仕事をしているのですか?」と聞かれる機会は増えた。
それに対して私は比較的曖昧な答えを返していた(ex.まーなんか適当に楽しく過ごしてるよ)。その原因としては、仕事に対する強烈な目的意識や使命感を持っていなかったため、語りたいことが特に無かったためである。
質問した側もただの雑談の一つであるため、その曖昧さへの踏み込みは無かった。
しかし、今回は状況が異なる。質問をした彼は自分の行く末についての質問であり、そこに対する私の答えは何らかの反応を与えてしまう。
今までののらりくらりとした反応は真摯ではないと思ったため、真面目に考えてみた。
シンプルな説明
私はSEである、そのため現状を踏まえてシンプルに説明しようとすると、「他部署の依頼でシステム作っているよ」ということになる。 しかし、この答えを聞いて、人は納得するだろうか、私だったらしない、聞くだけ無駄だったなと空虚な気持ちになる。
そこで、どう答えることが適切かを考えることになる。
物事を説明する方法
今回の問題を考える前に、まず物事を説明する方法についての考えを述べる。 物事の説明をする上で必要なのは、聞き手が聞いたことで意味があったという感覚を与えることが重要である。言い換えると「なるほど」という感覚を与えることが重要だと思っている。 それを実現するには、それが何であるかを説明するだけでは片手落ちで、それがどのような役割を果たしているのかということを添えるのが良いと考えている。 以下に例を述べる。回答として、何であるかだけではなく役割を添えることで分かりやすくなったという例示のつもりである。
Q) Amazonとは何ですか?
A) 「オンライン上のショッピングサイトだよ①」 「それにより、実際の店舗に行かずに買い物をすることが可能になるんだよ②」
①だけだと「ふーん・・・?」という感じだが、②が添えられると「なるほど」感が少し増すと思っている。
仕事の話
説明をするには、「役割・意義の説明」を付加することが大事であることが分かった。 そして、このルールが、仕事の説明を難しくする原因である。 役割・意義の説明とは「つまりあなたは何故その仕事をするのですか?」ということを説明することになるからである。
先に述べたように、私には大きな目的意識や情熱は持ち合わせていないので、その点については空虚である。つまり自分の内からこの役割や意義を見出すことは難しい。 では、役割や意義を自分の外から用意しよう。そのためには自分の所属する組織のミッションを利用する。 私の所属する組織のミッションは「社内標準プラットフォームの案件適応支援」である。
何とか自分の仕事の役割と意義を見出せた。しかし、ここで良かったねとはならない。役割・意義と自分の仕事が全く関係ないのだ。 私は社内標準プラットフォームを使ってもいなければ、案件の適応支援もしていない。組織のミッションとは全く関係のない仕事を日々している。 その原因は、対象となる案件が現在存在せず体が空いているので、何となく他部署では技術的に難しい内容を依頼としてこなしているに過ぎないからである。
つまり、仕事をする理由は、「特にやることがないが、働かないと体が空いてしまうので適当に仕事を割り当てられているため」に過ぎないということになる。
何だかとても虚しい答えだが、ここに対する考えを述べる。
使命と実態
仕事には、使命と実態が存在し、そこには頻繁に乖離が存在すると考える。 使命とは、上司やまたその上からトップダウン式に降りてきて依頼がされるものである。役割・意義にあたるものである。 実態とは、日々の中でボトムアップ式に発生し、運営していく中でやっていく必要があるものである。
使命と実態が一致していると、とても分かりやすく説明がしやすい。しかし、現状のように、実態は使命から外れてしまうことが往々にしてある。
最終的な返答
ここまで考えたところで、後輩にどう答えを返すか整理してみた。
このことを前提に考えると、返答としては3パターンにわけられるがこれまで説明したようにこれらはすべて片手落ちだ。
- 使命についてのみ述べる (ex.社内標準プラットフォームの案件適応支援とかしてるよ)
- 実態についてのみ述べる (ex.他部署の依頼でシステム作っているよ)
- 使命と実態について述べる(ex.他部署の依頼でシステム作っているよ。役割としては、社内標準プラットフォームの案件適応支援とかだよ)
- 使命と実態について述べ、そこには乖離が存在してしまっていると述べる(つまり、ここで記載している内容について述べる)
①②は「ふーん」という感じだし、③は「え・・・?意味分からん」となる。 そこで最終手段としての④を説明することにした。
後輩の反応
かなり微妙だった。 後輩の反応は「お、おう……(何言ってんだこいつ)」といったものだった。 つまり、「物事を説明する方法」で目的とした「なるほど」という感覚を得ることはできず、質問の答えとしては不適切だったということになる。
返答の反省
では、どこが失敗だったのだろうか。 そもそもとして、「後輩はなぜその質問をしたのか?」という視点が欠けていることに気づいた。 後輩はただ不安だったのだろうと思われる、初めての仕事・初めての部署という状況への不安だ。そこから自分の状況について理解を深めたいと、質問をしたに過ぎない。 私の仕事への考え方なんてぶっちゃけどうでもいいのだろう。
つまり私の正解は「不安だろうけど、大丈夫、サポートもするし何とかなるよ」と相手の気持ちを斟酌した上で、味方であることを表明することが大事だったのではないかと考えた。
まとめ
色々ぐるぐると考え末に盛大にすべってこけたことから、今後のコミュニケーションについて不安を覚えるのである。
第一歩目に思うこと
はじめに
はてなブログを初めました。この記事が、最初の投稿となります。つまり最初の一歩目となります。
最初の投稿は「何故ブログを書こうと思ったのか」について書こうと思います。
最初の一歩目というのは、私の中で大きな意味を持っています。
20歳も半ばをすぎて、私の中で未来は形を変えました。手に負えない存在から、自分の掌に収まる程度の存在へと変化したのです。未来には無限の可能性が存在した途方もなさはもうありません。
これは否定的なニュアンスだけではありません。 確かに、色々な挫折や限界や諦念など様々な思いがありましたが、 それ以上に自分の行動が、具体的に未来と結びついているのだな、という感覚も意味しています。 掌に収まるのは、やっと自分自身で扱えるサイズになってきたことを意味し、これは一つの喜びです。 未来は自分の行動に一切の沈黙を保っていた存在から、自分の一挙手一投足に反応を返してくれる存在へと変わってきました。
だからこそ、物事の一歩目は、そんな未来の形を決めることとして大事なのです。
では、そんなブログ一歩目に相応しい最初の投稿記事は何か、ということに考えを移します。 私の中でしっくり来るのは、「一歩目の前には、踏み出す理由が存在する」という前提から、「何故一歩目を踏み出そうと思ったのか?」という内容です。 だから、最初の投稿は「何故ブログを始めようと思ったのか」ということについて考えたいと思います。
なぜブログを始めようと思ったのか
人は物事を始めるときに、どのような流れで始めるのでしょうか。
私の考えでは、「○○をやりたいな~」という思いを抱えているときに、
その思いを実際の行動に移すトリガーとぶつかった出会うことで人は物事を始めるのではないかと考えました。
例えば、「新しいスマホ欲しいな~」と思っているときに、「iPhone7の発売」というトリガーによって、実際にiPhone7を購入するというイメージです。
前者の「新しいスマホ欲しいな~」をモチベーション、後者の「iPhone7の発売」をトリガーと呼び、今回の自分の件について考えていきます。
私のモチベーション
モチベーションは大きく2つ、「はてなブログの読者であったこと」「文章の練習をしたいと思っていたこと」があります。
はてなブログはここ3年くらい良く目を通していました、 様々な人の意見に目を通す中で、「なるほど~」とか「いやいや流石に詭弁でしょ」と独り言ちたりもしています。 とても面白い場だと思っており、ここに自分も加わることはひとつのモチベーション足りうると思っています。
もうひとつは、文章の練習をしたいと思っていたこと。 元々小説を読むことが好きでした。そんな自分が文章を書ける人に対して憧れを抱くのは自然な流れと言えるでしょう。 また、文章を書くという要求は就職し、仕事を行う上で必要なスキルと化していることを感じたこともこの流れを後押しします。
特にブログを書くことは、練習不足だと思う領域に対して効果があると思っています。 何故そう考えるかを、文章を書くという行為をプロセスの成り立ちから考えます。
文章のプロセス
文章を書くことは、頭のなかから出てきたものを他者が理解できる形に整形するというものだと考えます。 私の中でこれは2つのプロセスに分解されています。
- 自分の頭の中から思いや考えを拾い上げる行為
- 拾い上げた思いを他者が読めるように整形する行為
書き手にそれぞれの能力が不足しているとき、書き手の苦悩は別の形で発露されます。
前者の能力不足は、「何を書けばいいか分からない」。後者の能力不足は、「どうやって書けばいいか分からない」という形です。 そのため文章能力を向上するには、この両方に対して別々に練習をする必要があると考えています。
前者に関しては別の場で練習の機会を抱いています。 私は毎日日記を書いているので、思いや考えを拾う練習はその中で行っている認識です。 一方、どうしても他者が読める形に変換する練習が弱くなります。日記は自分しか読まないためです。 ブログはインターネット上に公開するため、他者に読まれる機会が存在するため、そのことを意識した文章を書く必要があります。 そこでブログを通して、他者が読む文章を書く練習になるのではないかと考えていました。
これが2つ目のモチベーションです。
私のトリガー
では、モチベーションについては整理されました。
次はトリガーです。トリガーは「iPhone7の販売のお知らせ」のように外部からの要因が主だと思います。
私の場合は、「友人が書いているブログ・文章」がトリガーとなります。
友人はブログやSNSで、読書感想文など様々な感想を定期的に公開していました。
それを読んだときに、読みやすくて良い文章だなと感じ、自分も同じようにやってみたいなと思ったことが切っ掛けとなります。
すごくシンプルですが、逆にとてもわかりやすいとも思います。
まとめ
ここまで、私がブログを書こうと思った切っ掛けを整理してきました。 「はてなブログの読者であったこと」や「文章の練習をしたいと思っていたこと」をモチベーションとして、 「友人が書いている文章を読んだこと」をトリガーに、今日ブログを書いているということになります。
これから
モチベーションにも書いた、他者に伝える文章練習の場として、 日記の中から少しずつ拾い上げる形で続けていこうと思っています。 目標は週1つ程度、今年一杯は続けたいと思っています。
2000字程度の文章に1時間かかってしまう、この遅筆さや内容の稚拙さが改善したらなと考えています。