人生をどう捉えるか
20代後半の若者は、アイデンティティを喪失しやすく幸福感が低いらしい。
原因としては、社会人としてある程度の年齢を過ごしたにも関わらず世間一般ではまだ若者という扱いを受け軽んじられる。この自己認識と周囲からの評価のギャップに苦しむんだとか。
確かに25才くらいから、意識しているのはメンタルをどう維持するかそればかりな気がする。少し油断すると崩れそうになる心を、色々な手段で鼓舞し、先に進めようと苦心する、そんなことばかりな気がする。
最近は、どうやったら自分に期待せずに済むかを模索している。肥大した自意識は自分に多くを要求する。その要求を少しだけ減らせたらと思っている。
「人間は地球の物理法則をデバッグしているに過ぎない」みたいな発言をTwitterで見た。とても良いなと思った。やはり自分の小さな行動も何か大きな意思の元に存在すると思いたい。
話過ぎる罪悪感
最近人と会ったときに話しすぎると思う。考えごとをし過ぎると、それは溢れ誰かに伝えないと治らない。
話を聞くとは大変だ、時間を使い傾聴し、理解し、場合によっては意見を述べる必要がある。そこにはコストが発生する。
話過ぎるとは、そのコストを相手に払わせすぎているような気がする。
最近人と会い、話過ぎて罪悪感を覚える。ただどうしても黙っていることができない。もう少し小まめに、話したいという欲求は発散させておかないといけないのかもしれない。
寮のときは、近くに友人がいた、毎日少しずつ話して発散していた。ただ今は一人暮らしだ、友人と会った時には数週間分の思いが溜まっている。その分量も膨大だ。結果、話しすぎる。
一人暮らしの弊害はここにあったかもしれない。
勉強が好きでよかった
エンジニアのためのデザイン思考
- 作者: 東京工業大学エンジニアリングデザインプロジェクト,齊藤滋規,坂本啓,竹田陽子,角征典,大内孝子
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2017/12/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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最近どうやって作るか、という勉強は結構してるが、「何を作るか」というものについての回答や方法論を持っていないなと思った。
そこで最近話題のサービスデザインというワードにも現れる「デザイン」の本を読んでみようと思った。
舞台が東京工業大学で割と馴染みがあるのも良い。こんな場所あったんだ、という感想。
結論としてはとても面白かった。良いプロダクトは良いチームから生まれるということを長々と書いている。
この辺の感覚はなんとなく理解できて、今の職場のよくないところでもチーム感が無いという点を挙げている。
仕事と勉強
自分の中では終身雇用という概念はある程度崩壊していて、自分のような労働者も良い待遇、良い組織、楽しい仕事を探すべきという価値観に切り替わっている。そして、そこには必然的にある程度流動性が上がっても耐えられる程度のスキルを身に付けるよう努力しなければならない。
ただ勉強で萎えるのは世の中を見て勉強すればするほど、自分より若くてすごい人が一杯いること。仮に同じ速度で成長しても一生勝てないんだなという実感がある。そこについてはもう諦めている。結局自分ができること、能力を主観的にも客観的にも正しく理解し、その範囲を広げていくこと自体に喜びを見出さないとならない。他人と比較するといつまでも不幸になり続けてしまうようだ。
新年気を改めていきたい
最近、寒くて生活が乱れていた。
私はとても怠惰な人間なので、自分の行動をある程度監視していないとすぐに生活が乱れてしまう。
具体的には部屋を掃除しなくなったり、洗濯物が散乱したりし、興味があることしか行えなくなる。
最近は勉強をすることが楽しいので、勉強以外の小さな雑務が全ておざなりになっていた。
引っ越しも近づいているのに、これではいけないとまた一から生活を建て直すことにした。
改善のためにはまずは計測から、というのが自分の信条である。
とりあえず時間の使い方を計測することにした。
Toggl - Free Time Tracking Software
togglは個人的に結構お気に入りのツールである。職場でもたまに使っている。 基本的に計測するだけだが、時間を計っていると今何をやるべきかという意識が明確になり雑務に気を取られなくなるのが良いと思っている。
計測ができたら次にやるべきことの計画を建てたいと思った。今はTodoistを使っている。 まぁあまりしっかり計画を立ててもこなせないので、思いつきベースでやることを入れて消化していくという形になっている。
本当はもう少し長期的な目標や計画を立てて、そこに対しての小さな行動という形で行動を細分化していきたいのだが、
どうやらいきなりそこまで到達するのは難しいらしい。実際何度も挫折している。
結局超えられるくらい小さなハードルにして、努力することなしにこなし、少しずつ前に進むことしかできないようだ。
大きなビジョンを持つことは難しいようだ。
ここにある家族観とは。
実家に戻った。かばんを下ろした僕に妹が言う。
「いつもいる人がいないことに気づいた?」
そういえば、父親がいない。
「お父さんはお酒が飲みたいからって、一人暮らしの家に戻ったよ」
父親は職場が遠いと言う理由で東京に一人暮らしをしている。年末にはもちろん戻ってきていたが、昨日飲みすぎて母親と妹にたしなめられらしく、31日は飲まないでね、と言われた。「家族は大事だけど、酒を飲みたいので戻るわ」と彼は言って一人暮らしの家に戻ったらしい。
僕はそれを聞いて結構驚いたんだが、妹も母親も「あの人らしいよね。でも、おかげで今年は平和だよ」と言っていた。
実家に戻ると、驚くことは多い。家族と一緒にいることと、一人で酒を飲むことを酒を飲むという選択を取れる人がいたりする。
驚きはしたが、怒りや悲しみなどの感情は特にない(呆れはあるかも)。これを薄情と思ったり、反感を持ったりする人はきっといるんだろうな。逆に、この状況下で離れていても心は繋がっているという言葉はあまりに空虚だろう。
だから、ただただ世間一般で言われる普通の家族観とは違う価値観がここにはある。
自分も他人との価値観の差で悩んだりすることもある。ただ、ここに来るとあまりに瑣末なことだな、と勇気付けられる。
そうして、また生きづらさが増す気もする。