2017/09/22:教育とか勉強について思うこと

◆ポーカー

ポーカーはどこまででも負けるので今まで勝っていた分が逆に気のせいだと思うことにしました。少なくとも安定感のある勝利ではなかったのだろうと。

 

まぁゲームで負けるのはよくあることなので、懲りずにハンドの振り返りと勉強だけはちゃんと続けましょう。

 

それでも凹むものは凹むので、SlackBotで結果を報告すると、前川みく(アイドルマスターシンデレラガールズ)が慰めてくれる機能を追加しました。

こういうキャラクタの台詞を考えていると、キャラクタという偶像の凄さを感じ入ったりしますね。

 

SlackBot作りは結構面白いのでボチボチやっていきます。

 

N予備校

www.nnn.ed.nico

 

プログラミングコースの評判がかなり良いそうで、気になっています。月1000円らしいし、結構プログラミングを体系的に最初から学び直したい欲求があるので、受講しても良いかなって感じ。

 

話は変わりますが、うちは実家が個人塾を営んでいるので、教育とか学力向上について親とたまに話します。

親も子ども3人が平均的に高学歴寄りなので、第三者評価では学力という点では教育に成功しています。結果、個人塾を営んでいるという立場からも何か教育に対して一家言を持ちたいと思っているようです。

 

そもそも、勉強ができたほうが良いかという話では、個人的には勉強ができているからといって幸福のすべてではないと思いますが、まぁ極端な不幸には陥らないので、できたほうがリスクは小さいかなと思っています。自分も主観的幸福には至れてませんが、不幸というには贅沢な気がします。そのくらいに至れたことの一つに、突き抜けたものはなくても、そこそここなせることと、金銭的に困窮はしていないことが理由です。

 

ただ努力の大半がそうですが、結局は習慣化の力かなと思っているので、いかに学習習慣をつけられるかが学力向上の鍵かと思います。習慣は外部からの矯正で身につくものではないので、自発的に習慣化させる必要があります。

人間が嫌なことでもある程度続けられるのは、その結果何かしらの成功につながったという体験、いわゆる成功体験が必要というのが持論です。

 

自分はそれなりに学習習慣(方向性はともかく)がついているのは、まぁやれば何とかなるだろうという淡い予感があるからだと思っています。僕より更にできる人は僕以上にそういった体験があるんだろうな、と勝手に想像しています。

逆に失敗や挫折からは人は学べないと思っています。基本的に失敗はしないほうが良いです。少なくとも成功の比率は上げていくべきです。

 

話を戻すと、一度成功したら、その体験をもとにさらなる成功体験がつながりますが、

人間生まれたときは0なわけで最初の成功体験をどう導くか、という話になりますが、

教育の役割はその辺にあるのかな、と。

あとは、親がある程度教育に対しての成功体験をある程度持ってないと辛いのかな、と。子どもが親を真似るのはある程度仕方ないかなと。

 

だから、子どもに勉強させたいなら、親がまず勉強したら良いんじゃないかな、と結構思ってます。親がしてたら、そういうもんかなと子どももするかと思うんですが。

 

逆に親が勉強が嫌いだったり、意味を心から感じていないならば、それを子ども(他人)に言うことって個人的に違和感あります。

自分が信じているものを、他人に信じさせることですらかなり傲慢なのに、自分が信じてさえいないものを他人に信じさせようとすることのおぞましさを感じます。

 

こういうのって勉強に限らずすべてに言えると思います。