2017/09/28:正論で殴る人と自分への嫌悪
◆自分の不完全さ
シミジミする話。
自分は以前のようにMTGをやっていませんし、この人と同じようにMTG自体が面白くないと思ったわけではないですが、負けるのが嫌でプレイ自体を楽しめなくなるという感覚はわかるような気がします。
多分最初の頃よりある程度強くなってからの方が起こりやすいのかな、と。
以前もちらっとゲームを「勝敗を重視するか」「楽しめるかどうかを重視するか」という価値観の対立はどんなゲームを見ていても発生するもんだと思ってます。
勝たなきゃ意味がないという意見も、楽しめればオールオッケーという意見どちらも一理あり結局価値観に優劣は無いんだな、ということを思い知らされます。
この記事を読んだ僕の感想は、「気持ちはわかるけど、どうしようもないね」というのが正直なところ。
ここからはもう少しドロドロした感想ですが、
この記事はまぁまぁバズったので結構色々な人がコメントをしていて、
「楽しく無いならやらなきゃいいじゃん」
「本当に上達したいと思っていたら、そんなことを考える余裕はない」
的なコメントもある程度散見されていて、まぁそりゃ正論だけど、そのコメントをこの場ですることの意味はないよな、と思うわけです。
こういうある程度共感を得られそうな記事に登場する、正論で殴る人たちが割と好きじゃないです。
こういう人たちはある程度状況も理解し、意見も正しく、だからこそポリシーを持っていると思います。言い方を変えるとそれなりにカリスマ性もあるかなと思ってます。
だからこそ自分の考えやポリシーを疑わない態度に、ちょっとモヤッとするわけです。
じゃあ何でもやっとするかというと、結局僕自身が自分の考えや自分自身について疑り深く、自分の考えや立場や意見の不安定さにかなり自覚的で、発言すべてに虚構感を感じてる分、何かしらの実感やポリシーを持った発言に嫉妬しているだけなんだろうなぁと思ってます。
そう、いつもどおり問題は自分の中に存在するわけです。
そしてそれはどうしようもないことなわけです。
◆Dice Forge
楽しそう。そのうち買いそう。