まだいける

左利きのエレンを読んだ。

 

天才と天才になれなかった人の物語。

 

 

 

昔は天才の人たちに共感し、

25歳くらいで天才になれなかった人に共感し、

最近は天才になれなかった人にすらなれなかったのが現実という自己認識だ。

 

そういう話を会社の同僚にした。

 

「いや、まだまだいけるっしょ。俺は一生まだいけるっしょと思いながら多分死ぬよ」

 

そう言われた。

超越と実存「無常」をめぐる仏教史

 

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

  • 作者:南直哉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/01/26
  • メディア: 単行本
 

 読んだ。

自分の感じている感覚ととても近しい感覚が書かれていて、とてもおもしろかった。

仏教史は疎いので話の流れは知らないことが多すぎて体系的に頭に入ってくることはなかった。ただ著者のまえがきやあとがきで、記された問題意識が自分の抱えている問題意識にしっかり合致していた。

 

自分の抱えている問題意識は思想的に「確立した自己というもの」を認識することができず、同時に「多いなら存在の一部としての自己」という位置づけもしっくりこない。

結果として、自分とは何かということになんの答えも出せないというまさに実存的危機にある。

 

この本の著者がまさにそのどちらでもない、第三の選択肢としての仏教という位置づけを説明していた。

そこには自我という存在自体の虚構性(無常)を起点とするゴータマ・シッダールタの原初仏教の思想が色濃く反映された世界が書かれていた。

 

中身は全然わからなかったが、それでも作者の問題意識が自分の問題意識に合致した結果一気に読み終えてしまった。

 

 

日常生活のなかの禅 修行のすすめ (講談社選書メチエ)

日常生活のなかの禅 修行のすすめ (講談社選書メチエ)

 

 次はこれを読もうと思う。

 

「あなたは迷うことと悩むことを楽しんでいる」

まだ「青春」の残光が足元に射していた頃、そう言われたことがある。

「そうか、楽しんでいるように見えるのか。なんだか割が合わないなあ」

口に出しては言わなかったが、その時はそう思った。

私の「リアル」が迷うことと悩むことの中にあると、それが他人には楽しんでいるように見えるわけか。

南直哉. 超越と実存「無常」をめぐる仏教史 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3129-3133). Kindle 版.

 

この感覚を持つ人が自分以外にもいたということ、それだけで自分には

自分の誇れる点

虚無がやってきている。

 

世界の中で重要な存在だと思いたかったが、どうやらそうではないと分かってしまい。

自分は大きな大事なものに貢献していると思いたかったが、それも相対化された世界の価値観の一つに過ぎないということに気づいてしまい。

手触りのある、分かりやすい感覚に従えば良いと思いたかったが、自分の内には情熱のようなものは見当たらず、状況に対する反射のみが存在することに気づいてしまい。

関係性の中に自分の位置を見出したかったが、それにはtakeに対するgiveが必要とされ、相手が必要としているものが自分には理解できず。

 

 

その状態でも狂わず生きていることが今の自分には重要なことになっている。

 

重要なことを持たずに生きていくことは難しい。

仕事をするようになってきた

職場の休憩室でコーヒーを飲んでいると、同僚に声をかけられた。

 

「最近仕事をするようになってきたね」

 

彼はヘラヘラと笑っていた。その表情に悪意は感じず、揶揄する意図もなさそうだったので、素直に聞くことにした。

 

「どういう意味ですか?」

 

彼はおかしそうにクスクスと笑った。

 

「さっき、結構面倒なバグにぶちあたってたじゃない。そんときに、『まぁ適当でいいから、それっぽい感じでやろうよ』って言ってたじゃん。それを見て、仕事してるなぁ、と思って」

 

「それって仕事してるんですかね。言った自分が言うのも何ですけど、適当に何とかやり過ごそうとしただけですよ」

 

「でも、今まで全然そういう風にできなかったじゃん。何かすごく正しい状態に至ろうとしてたじゃん。でも、俺が思うにそういうのは仕事じゃなくて、ただの自己実現だからさ。そういうものをあんまり持ち込まなくなったな、って。だから、ちゃんと仕事してるなぁって。」

 

「うーん、それって良いことなんですかね」

 

「正論を言って、物事を進めないより俺は全然いいと思うな。そういえばこの前30歳だっけ。君もおじさんになったってことかね」

 

僕は眉根を寄せ、不満そうな顔をするしかなかった。

 

 

今日もまたポヨポヨ生きていた。

 

特に理由はないけれど、アプリが改善すると皆が喜ぶので会社で色々試していた。

新しく試してみたレイアウトエンジンは結構良い作りのようで、適用してみた画面はかなり描画が早くなった。

 

大体動くようになった頃には夕方になっていたので、かつやで飯を食い。

折角なので個人バーにいってみた。常連っぽい人たちが喋っているのを聞きながら、日本酒をちびちびと飲んでいた。

 

家に戻ったら最近趣味で書いているカリグラフィーでレイアウトエンジンの名前を何度か書いてみた。初めて書いた頃より、aとかが上手に書けるようになってきた。

 

3日くらい間が空いてしまったがリングフィットアドベンチャーをやった。最近体重が3kgくらい増えてきている。

 

 

ゆっくりと風呂に入り、小説を読んだ。「なめらかな世界とその敵」は不思議な物語だ。

 

 

そして今日もぽよぽよと終わった。

黎明卿ボンドルドは格好いい

メイドインアビス劇場版を見てきた。

 

miabyss.com

 

メイドインアビスは結構好きだ。ところどころにある残酷な背景やナナチが可愛い。

映画版は黎明卿ボンドルドが敵キャラだった。

 

私はボンドルドがとても好きだ。色々な作品の敵キャラの中でも特に好きだ。

彼はただただロマンのみを生きている。多くのマッドサイエンティストな敵キャラは最後は現実の地平に落ちてくる事が多い。世界に受け入れられないこと、誰も自分を理解しないこと、そんなことが動機になる。僕はそれを見るたびにいつも何だか呆れのような気持ちがあった。お前の本心も結局現実の地平の上に存在するのか。

 

だが、ボンドルドには最後までそれがない。基地を壊されても、怒らず、あくまで問題の対処として捉え、相手にも感謝を忘れず、必要ならば人を心から愛したりもする。

 

最後も相手を称え、多少の手段の差はあれど志を同じくする仲間である、という世界観だ。

 

相手に対する敬意、尊敬、愛情を忘れないまま、相手との根本的な価値観のずれを演出する。ボンドルドはそういう敵キャラで、とても格好いいと思うのだ。

 

 

ラストシーンボンドルドがやられるが、原作ではボンドルドは生きていたはずだが、心の底から心配してしまった。作品を見ていて、キャラクターに死なないで欲しいと思ったのは初めてかもしれない。

新しい趣味でカリグラフィーを初めた

カリグラフィーを初めてみた、結構楽しい。

 


最近家で時間に余裕ができたので新しい趣味を始めようと思った。

その際、何をやるかということが問題になる。ゲーム・映画・読書など消費的な趣味はもう生活の一部に組み込まれており、趣味という感じがなかった。

 

ものづくりっぽい趣味をしてみたかった。自分が作れるものと言えば、プログラミングがあるが、仕事でもやっているしやるとどうしても勉強という側面が強く出る。

他に制約条件は家に帰って、手軽にできる、一人でもできる、辺り。

絵とかは当てはまりそうだが、自己表現の領域が多い気がして、書きたいものやりたいことが無い自分には難しい。

 

そこで趣味一覧というサイトを眺めていて、目に止まったのがカリグラフィーだ。

 

ja.wikipedia.org

 

いわゆる西洋版書道だ。書きたいものは目についた文字を書けば良いので題材に困らない。フォントの幅でデザイン性がありそう。

何より文字を書くのは結構好きだ。字は特に上手ではないが、無意味にノートに文字を書くことも多い。為という漢字が好きで意味もなく書いたりしていた。

 

まだイタリック体が書ける程度だが楽しいから、趣味としては十全だ。