JOKERは安全な天気の子

JOKERを見た。とても面白かった。

 

そこそこ普通のちょっと貧しい人が世界と自己認識の差異に苦しみ、最後大舞台で大声で自分の主張を発する、そして多くの人がそれに同調し、自分の正しさを知る。

 

これを語る前提として、現代の正しさはかなり相対的で絶対的なものはかなり不確実になっている。そういう意味ではJOKERは間違っているわけではないが、特に正しいわけでもない。個人個人が皆別の正しさを信奉しているだけである。そこで自分の正しさを他者と比べることはとても虚無である。

 

その虚無と正しく向き合って普通に生きることもできるが、JOKERは自分の正しさを掲げることを決めた。

そして投獄された。正しくても社会とはそういうものである。それぞれに正しさがあるので、ルールがある。別に悪いことをしたから投獄されるわけではない。

それぞれに正しさがあるが全員が互いに正しさに準拠すると全員不幸になるので、妥協できそうなラインを用意して何とかやっているだけだ。そこを踏み越えると投獄されるというルールでやっているだけだ。

だからルールそのものは変わったりするし、妥協できるラインが変化していったりする。

 

JOKERは自己の正しさのためにルールを踏み越えて投獄された。

 

 

天気の子も見た。これも面白かった。

 

ちょっと田舎の生活に疲れた少年が都会に出てきて、自分の意思で世界を変えてしまった話。

自己の正しさと世界で自己の正しさを獲得した話だった。

 

投獄された方が良いな。

 

正確には投獄されたら夢物語感が無いんだけど、現実でこの理論で突き進むと投獄されてしまうよ。

世界と自己の正しさで自己の正しさに気づくところまではいいんだが、それを現実世界で実行すると理想の自分との認知的不協和に苦しむだけだ。

 

他者が何を言っていても、特に気にしないことが正しさのない世界の生きる手段だ。

誰もあなたを理解しないし、あなたも誰も理解しない。ただ目印の線だけ引かれている。多くの人は守るが、守らない人もいる。

 

あなたの正しさを示そうと線を踏み越えると、罰せられる。

 

そんな天気の子のリスクがJOKERにはあったから、視聴者に極端な錯誤は与えられないから安全だ。